2014年06月28日

6月28日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀4

江戸時代の古地図を見ながら東京を散策する「古地図散歩」、6月28日午前中は「江戸城外堀4」のコースを歩いてきました。


15kmにわたる江戸城の外堀を5つのコースに分けて古地図散歩を開催していますが、今回はその4つめのコース、四ツ谷駅から水道橋駅までになります。


気になる天気は、前日の予報では昼ころから雨。ところが一夜明けてみると朝からかなりの雨が降っていました。天気予報大外れ、歩き旅応援舎の古地図散歩史上最悪の天気の中での開催となりました。


前日のうちに「朝から雨」と言ってくれれば、中止にできたのに・・・(←グチ)


四ツ谷駅前には大きな石垣があります。江戸城外堀にあった四ツ谷門の跡です。ここから外堀の中に造られた公園を通って市ヶ谷へ。市ヶ谷駅も外堀の門の一つ市ヶ谷門の跡に造られた駅です。


その市ヶ谷駅前の道は、江戸時代初期に造られた市ヶ谷門前の橋の遺構の上にあります。都市の真ん中に、こんなに大きな城門の遺構が残っているのです。


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市ヶ谷門の前には、市ヶ谷八幡宮がありました。現在の亀ヶ岡八幡宮です。この八幡宮は、以前にブラタモリでも紹介された・・・


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超弩級の急階段が名物の神社です。境内には青銅鳥居や狛犬をはじめとして江戸時代や明治初期のものがたくさんあります。


市ヶ谷から飯田橋までは、外堀の向かいが上り坂になっています。それぞれの坂道には名前が付けられています。江戸の人たちは坂道に名前を付けるのがすきだったようです。


そんな坂と坂の間には、愛敬稲荷神社がありました。江戸時代の地図にはかなり大きく書かれた神社ですが、現在は人家の一角にひっそりと祀られているだけです。


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飯田橋駅の前にも江戸時代には城門がありました。牛込門です。JR中央線の前身である甲武鉄道は、軍の後押しによって建設されました。そのため、軍が管理していた外堀と城門の跡地に線路や駅があるのです。


飯田橋駅の北側で、外堀は北西方向から流れてきた神田川と合流します。ここから神田川は東にほぼ直線ですすみ、隅田川に流れ出ます。この神田川、江戸時代初期に治水と水運と外堀としての役割を担って人工的に掘られた川なのです。


神田川と合流した外堀に、最初にあった門は小石川門でした。その跡地には現在小石川橋が架かっています。そこからほど近い水道橋駅が今回のゴール地点です。


歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。(7月後半から9月前半まではお休みします)


「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ


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2014年06月21日

6月21日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀3

江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩く「古地図散歩」、6月21日の午後は「江戸城外堀3」のコースを歩いてきました。


江戸城外堀の跡は全長約15kmにおよびます。それを5区間に分割して周辺の見どころなどにも寄り道しながら、外堀跡を各5km程度の全5コースに分けてご案内しています。


「江戸城外堀3」のコースは溜池山王駅集合で四ツ谷駅解散のコースとなります。


ご参加いただいたのは午前中の「御徒町〜茗荷谷」コースから引き続きのお客様、午前午後で合計約10kmを頑張って歩かれました。


この日はいきなり寄り道、溜池山王駅から少し離れたところにある勝海舟の住居跡を見に行きました。勝海舟は結婚したての若いころ、幕府で重用されてのち、明治時代初めから死ぬまでの3回赤坂に住んでいます。それらの住居跡3箇所を巡りました。


幕末に幕府内で重きをなしていたころに住んでいた住居は、氷川神社の隣でした。この氷川神社の社殿は、江戸時代中期である享保14年(1729)に建てられたものと言われています。享保14年といったら、徳川吉宗が「余の顔を見忘れたか?!」「成敗!」とやっていたころです。非常に古いものになります。


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それにしても、境内のこの狛犬、桜の枝に頭を殴られていて、いつ見てもかわいそう・・・


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さて、東京メトロ丸ノ内線に「赤坂見附」という駅がありますが、この「見附」とは城門のこと、赤坂見附とは外堀にあった赤坂門の別名なのです。その石垣の一部は現存しています。


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赤坂見附の石垣からは、江戸城外堀が残っています。この堀の内側には、江戸時代には彦根城主井伊家の中屋敷がありました。その庭園の跡は、今もホテルニューオータニの庭園となっています。


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江戸城外堀最古の門である喰違見附跡は、その名のとおり道が食い違っていた場所。ここから外堀の内側に築かれていた土塁が残っています。今は桜の名所として知られている土塁ですが、これらの桜は昭和になってから植えられてものです。土塁上をよく見ると、江戸時代から生えている松の古木もあります。


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上智大学を過ぎると土塁がいったん切れますが、ここが四ツ谷門の跡。「江戸城外堀3」のコースはここで終了、つづきは「江戸城外堀4」にて歩きます。


歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。(7月後半から9月前半まではお休みします)


「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


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6月21日 古地図散歩に行こう!御徒町〜茗荷谷

江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩く「古地図散歩」、6月21日の午前中は御徒町から茗荷谷まで歩いてきました。


御徒町は将軍が外出するときにその警護などを行っていた役職の武士「御徒組」の組屋敷があった場所。そこからまっすぐに西へと続く道は江戸時代からあり、その道の先に湯島天神へと上る石段があります。


階段下にある心城院はもともとは湯島天神の中にあった弁天堂だったのですが、明治時代の神仏分離で独立したお寺です。この池では願をかけるときに亀を奉納した習慣があったことから、今も亀がたくさんいます。


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湯島天神から春日通りに出て西へと進みます。春日通りの「春日」は春日局の「春日」です。途中には春日局のお墓がある麟祥院や、春日局の下男たちの屋敷があった春日町の跡や春日局にちなんだ出世稲荷もあります。


春日局の銅造のある礫川公園から“こんにゃく閻魔”源覚寺に向かいます。目の見えないおばあさんがこんにゃく絶ちをして本尊の閻魔さまに祈ったら、閻魔さまが片眼をくれたためにおばあさんは目が見えるようになったと伝わるお寺です。今もこんにゃくが山盛り奉納してありますが、驚くべきはその右手にある塩地蔵。なんとお地蔵様の姿が見えないほどに・・・


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さらに衝撃のお地蔵様は続きます。徳川家康の母於大の方や千姫、清河八郎の墓がある伝通院ですが、その山門前にある福聚院にあるお地蔵様は・・・


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  今度は「とうがらし地蔵」!

  とうがらしだらけ!!


大好きなとうがらしを食べ過ぎて喘息で死んでしまったおばあさんを弔うためのお地蔵様で、とうがらしを奉納してお参りすると咳止めの御利益があります。


さらに坂道だらけの茗荷谷の中の道を進んだところには・・・


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  しばられ地蔵!

  しばられすぎ!!


願いが叶ったら縛った紐を解くそうなのですが、どれが自分がしばった紐なのやら・・・???

お客様に1人が、早速願をかけて紐を縛っていました。


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  その願いが叶いますように・・・


今回はしばられ地蔵のある林泉寺からほど近い茗荷谷の駅で終了です。距離約5kmを3時間20分ほどで歩きました。ほとんどが初めてのお客様だったのですが、「また参加したい」といううれしいお言葉をいただきました。


歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。(7月後半から9月前半まではお休みします)

「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


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