2014年09月29日

9月28日 古地図散歩に行こう!半蔵門〜新宿

江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩く歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、9月28日の午後は半蔵門の前から新宿御苑駅近くの太宗寺まで歩いてきました。


まずは半蔵門。ここは服部半蔵の屋敷が近くにあったので「半蔵門」と呼ばれるようになったとも言われている門で、門の向こうは皇居であるためこれ以上近づくことはできません。


IMG_3605.JPG


Image4.jpg



江戸時代には江戸城内堀の門で、城の南側をぐるりと回ってきた甲州道中がここから西へと向かっていました。


それにしても、この日はいいお天気、すこし暑いくらいでしたが絶好の散歩日和でした。


半蔵門の近くには平河天神があります。太田道灌建てた神社を徳川家康が江戸城拡張工事のときに平川門のそばに移転させたので、この名があります。この地に移ってきたのは江戸時代初期のことです。


平河天神の境内には、菅原道真950年忌の嘉永5年(1852)に奉納された石造物がたくさんあります。この常夜灯もそのとき寺子屋の先生と弟子たちとで奉納したものです。嘉永5年と言えばペリーの黒船来航の前の年、古いです。


IMG_3606.JPG


Image5.jpg



「首斬り役人」と呼ばれていた首斬り浅右衛門の家の跡や明治時代に大久保利通が暗殺された紀尾井坂を通り、四谷の寺町に入りました。「4つの谷があるから四谷」という説もあるくらいで、坂道が多いです。


ここに元禄時代の門と毘沙門天堂が現存している本性寺があります。毘沙門天は北面しており、仙台の伊達政宗ににらみをきかせているのだとか。つい先日NHKの番組に出たらしく、門前に出演場面が掲載されたパネルが置かれていました。


IMG_3612.JPG


Image3.jpg



ここから新宿方面に向かっていくと、「笹寺」と呼ばれていた長善寺があります。徳川秀忠が狩りの途中に立ち寄って、笹が生い茂っていたことから笹寺と名付けたそうです。秀忠の念持仏と伝わる瑪瑙でできた観音様という珍しい仏像を所蔵しているお寺です。


IMG_3614.JPG


Image2.jpg



日本有数の繁華街新宿は、もともとは内藤新宿という甲州道中の宿場町でした。江戸時代はじめにはなかった宿場で、四谷にあった高藤藩内藤家の下屋敷の北側に新しく作った宿場なので「内藤新宿」です。つまり江戸時代には新宿は四谷の一部だったのですが現在では「新宿区四谷」、立場が逆転しちゃってます。


この内藤新宿は、江戸から近すぎるために宿泊する人はほとんどいませんでした。そのために宿場は遊郭化し、泊まりに来るのは近在の男たちだけという状態になっていたそうです。その遊郭も売春防止法によって昭和30年には営業することができなくなりました。そこで遊郭では女に代わって男を雇うことにしたのが、新宿2丁目のゲイバー街の始まりです。


妙な変遷をたどった内藤新宿ですが、内藤新宿で信仰されていたお寺が太宗寺です。入口を入ったところにある地蔵尊の大仏は江戸六地蔵の1つで、日本橋から始まる6つの街道の江戸のはずれに当たるところに1体ずつ置かれたお地蔵様です。


IMG_3616.JPG


Image1.jpg



よく見ると体中にびっしりと文字が書かれています。これは寄進者の名前が書かれているのです。7万5000人ほどの名前が書かれているといいいます。


今回の古地図散歩は、この太宗寺で終わりです。意外と近い皇居と新宿。地下鉄や車ではなかなかわからない距離感や地名の関連も、歩けばよくわかります。


今回のコース
半蔵門駅駅→半蔵門前→どら焼き発祥の地→平河天満宮→首斬り浅右衛門邸跡→金鱗堂尾張屋跡→清水谷公園→紀尾井坂→迎賓館前→首斬り浅右衛門の墓→豆腐地蔵→須賀神社→於岩稲荷田村神社→長善寺→四谷大木戸跡→太宗寺


歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ
posted by 歩き旅応援舎 at 11:51| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9月28日 古地図散歩に行こう!番町旗本屋敷巡り

江戸時代の地図を見ながら東京を散策する歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、9月28日は四ツ谷駅から半蔵門駅までの番町(一番町から六番町)を歩いてきました。


今回の古地図散歩の目的は、あたかも住宅地図のように作られた江戸時代の地図を見ながら、そこに住んでいた旗本たちの屋敷の跡地を探すことです。


たとえば・・・


01四ツ谷江戸.gif



この江戸時代の地図にはロシアと和親条約を結んだ川路利謨、その弟で4ヶ国と通商修好条約を結んだ井上清直、幕末期の火付け盗賊改め戸田正意の屋敷の場所が描かれていますが、それを現在の地図に合わせると・・・


01四ツ谷現在.gif



このようになります。番町は江戸時代の道がほぼそのまま残っていますので、屋敷の跡地を探すのはたやすいです。


このようにして、大久保一翁、塙次郎、村田蔵六など番町に住んでいて歴史に名を残した人々の屋敷の跡地を探していくのです。


ただ、江戸時代の地図を見ながら目的の場所を探し回るのはとても面白いのですが、その場所には碑も説明板も設置されておらず、その場所を撮影しても普通の住宅地、あるいはオフィスビルが映っているだけですので、なかなかこの楽しさをインターネットで人に伝えるのは難しいという難点があります。


それでも、ところどころに分かりやすい場所もあり、たとえばこれは市ヶ谷門跡の石垣石。


IMG_3598.JPG


Image1.gif



そしてここは靖国神社の中にある斎藤弥九郎の練兵館道場の跡。桂小五郎など長州藩士が通っていた道場です。


IMG_3603.JPG


Image2.gif



来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は長州藩士の話らしいので、もしかしたらこの道場が出てくるかもしれません。


このようにして、番町をめぐりめぐって半蔵門駅まで歩いてきました。


・・・この面白さ、伝わったでしょうか???


今回のコース
四ツ谷駅(四ツ谷門跡)→川路聖謨邸跡→戸田正意邸跡→藤田嗣治邸跡→島崎藤村邸跡→菊池寛邸跡→井上清直邸跡→東郷平八郎邸跡→市ヶ谷門跡→坪内定保邸跡→大久保一翁邸跡→本多作左右衛門邸跡→古郡孫太夫邸跡→塙保己一邸跡 →村田蔵六邸跡→阿部正外邸跡→品川式部太夫邸跡→半蔵門駅


歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ


posted by 歩き旅応援舎 at 01:12| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

9月21日 古地図散歩に行こう!日本橋〜芝

江戸の古地図を見ながら歩けば、今まで知らなかった東京が見えてくる歩き旅応援舎のウォーキングイベント「古地図散歩に行こう!」、9月21日の午後は日本橋から芝の増上寺まで旧東海道をあるきました。


江戸時代初期に五街道の起点として建設された日本橋、現在の橋は明治44年の架橋ですが、今でも日本の道路の中心です。橋の真ん中には「日本国道路元標」が埋め込まれています。


Image1.jpg


Image2.jpg



江戸時代の地図にも書いてありますが、江戸時代には日本橋の上から富士山を望むことができました。葛飾北斎も「富嶽三十六景 江戸日本橋」に富士山を描いています。


Image7.jpg
国立国会図書館蔵



日本橋から南へと延びている道が旧東海道、今回はこの道を進みます。


東海道というと京都へと至る約530kmの道ですが、今回の古地図散歩で歩くのは江戸の町中だったところです。街道を通じて京都や大阪から流行最先端の文化や品物が、幕末期以降は横浜から西洋の文明がこの道を通って江戸・東京にやってきました。


そのため旧東海道沿いにはそれぞれの時代の「最先端」を今でも見ることができます。


例えばこれは京橋跡にある明治時代にそれまでの木橋から石橋に架け替えられた京橋の親柱です。


IMG_3375.JPG


Image3.jpg



近くには大正時代に架け替えられた京橋の親柱もあります。こちらは上部が街灯になったモダンな造りのものです。


銀座は江戸時代の前半に銀貨製造所があったことが地名の由来です。ただしこの銀貨製造所である「銀座」は上納金を幕府に納めるのを怠ったために松平定信の怒りを買い、人形町に移転させられてしまいました。


Image4.jpg



古地図散歩で使用している江戸の地図は江戸時代末期のものですので、地名の銀座に銀貨製造所の「銀座」はありません。


ところでこの日は日曜日、銀座中央通りとなった旧東海道は歩行者天国です。


  おっ!ためしてガッテンのロケだ

IMG_3379.JPG



  人だかりがしてると思ったら路上撮影会

IMG_3380.JPG



銀座を通り過ぎると新橋です。新橋は江戸時代に東海道に橋がかかっていたことが地名の由来です。ここにあった播磨竜野藩主脇坂淡路守上屋敷の跡に、明治5年に日本最初の駅の1つ「新橋停車場」が建設され、日本の鉄道の歴史がここから始まりました。


IMG_3383.JPG


Image5.jpg



現在は発掘結果などをもとにして、新橋停車場が復元されています。ところどころにガラス張りがあり、発掘された新橋停車場の遺構を見ることができます。


ちなみにこの江戸時代の地図をよく見ると、松平陸奥守の屋敷が書かれている場所は仙台藩伊達家の屋敷跡、現在日本テレビがあるところ、田村右京太夫の屋敷は松の廊下事件を起こした赤穂藩主浅野内匠頭が切腹した場所、その「仇討ち」を終えた赤穂四十七士が引き上げる途中に前記の伊達家の屋敷前を通ったら、門番に「怪しいヤツ」と呼び止められて、通せ通さぬの押し問答がありました。また、「遠山の金さん」として有名な遠山金四郎の屋敷も描かれています。


こうして江戸時代の地図に描かれている場所が現在どうなっているのかを見ながら歩いているうちに、今回の目的地である増上寺に着きました。


江戸時代には増上寺の門前と周囲には増上寺の塔頭寺院が建ち並んでいました。今もそれら寺院の多くは増上寺の周辺にありますが、江戸時代と違ってお寺とお寺の間には多くのビルが人家が建っています。


そのなかで唯一江戸時代の門と土塀を残しているのが、増上寺山門(現在の三解脱門)の前にある廣度院です。江戸時代の増上寺門前は、このような塀と門が長くつづいていたことでしょう。


IMG_3385.JPG


Image6.jpg



この日の古地図散歩は増上寺の徳川家墓所の前まで歩いて終了です。江戸時代の地図の上の方に「御霊屋」と描かれている場所です。


今回のコース
日本橋→白木屋の井戸跡→日本橋高島屋→中橋跡→京橋跡→銀座発祥の地碑→金春屋敷跡→芝口門跡碑→新橋跡→旧新橋停車場→仙台藩上屋敷跡 →芝大神宮→三解脱門→増上寺→徳川家墓所


歩き旅応援舎の古地図散歩は、ほぼ毎週末に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ


posted by 歩き旅応援舎 at 14:46| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。