2014年11月28日

11月24日 古地図散歩に行こう!田町〜赤坂

いつも見慣れた東京の町も古地図を見ながら歩けばその奥行きが見えてくる、歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、11月24日は田町から赤坂まで歩いてきました。


集合地点の田町駅はかつては海だった場所。その海も埋め立てによって2kmも先となりましたが、随所に海の痕跡は残っています。例えば嵐で流されてきた社殿を安置したのが始まりと伝わる鹿島神社があったり、漁師が魚を陸に上げた雑魚場の名前がJRの高架の名前になっていたりしています。


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この「薩州蔵屋敷」もその一つ。薩摩藩が江戸で消費する米を国元から船で運んできて貯蔵していた屋敷です。船で運んできますから、屋敷の裏が船着場になっていました。


この薩州蔵屋敷は歴史上の事件の舞台にもなりました。戊辰戦争時に江戸城総攻撃を回避しようとする勝海舟が西郷隆盛と会見した地でもあるのです。


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薩摩藩は加賀藩に次ぐ大きな大名で、江戸にたくさんの屋敷をもっていました。同じ田町には薩摩藩の上屋敷もありました。「松平修理大夫」と書いてある屋敷です。戸板女子短大・東京女子学園から国道1号線にまで及ぶとても大きな屋敷でした。


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NEC本社前に碑があります。ここは戊辰戦争のきっかけとなった慶応3年(1868)12月25日の薩摩藩邸焼き討ち事件の現場でもあります。


この焼き討ち事件で捕らえられた薩摩藩士益満休之助が、勝海舟の使者山岡鉄舟を案内して静岡に着陣した西郷隆盛に会わせたのが、江戸城無血開城へとつながりました。


田町から麻布・六本木に入ると坂道が多くなります。なかでもキツいのが狸穴坂。「狸の穴」と書きますが、実際にあったのは狢(あなぐま)の穴だったようです。


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六本木には昔はたくさんのお寺があったのですが、現在はなくなってしまったお寺もあります。たとえば江戸時代の地図にある不動院は今でもありますが、隣の浄圓寺(浄因寺の誤記)は世田谷に移転してしまい今はありません。しかしその跡地には古い石仏や五輪塔が残されています。


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「松平大膳大夫」と書かれているのは長州藩邸です。檜がうっそうと繁っていたため檜屋敷と呼ばれ、その前の坂道は檜坂と呼ばれていました。


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元治元年(1864)7月の蛤御門の変の後、この屋敷は幕府に没収されて建物がすべて取り壊され、茶畑になってしまいました。明治時17年にはこの場所が歩兵第一連隊になり、戦後はアメリカ軍に接収され、その後防衛庁となってから現在の東京ミッドタウンと檜坂公園となったのです。


檜坂公園の日本庭園は、毛利家の屋敷のころから続いているものです。ちょうど紅葉がきれいな時期でした。


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今回のゴール地点は赤坂見附駅ですが、その前にもう一踏ん張り、三分坂という急坂が待ち構えています。左に見える築地塀は報土寺のもの。史上最強の力士雷電為右衛門のお墓があるお寺です。


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赤坂も坂道が多いです。しかし「赤坂」という名前の坂があるわけではありません。赤坂の地名の由来については赤土の坂が多かったとか、染物屋が坂道に赤い布をさらしていたなど諸説ありますが、本当のところはどうだったのでしょう?


おしゃれな飲食店街がならぶ現在の赤坂ですが、その中に江戸時代からつづくお寺があります。こちらの浄土寺には青銅製の地蔵尊像があります。日本橋から始まる6つの街道の江戸の出口にあたる場所に、江戸六地蔵を建てた地蔵坊正元が造ったお地蔵様です。


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ここから賑やかな一ツ木通りをぬけると、ゴールの赤坂見附駅に到着です。


今回のコース
西郷・勝会見の地→薩摩藩上屋敷跡→柳神社→中之橋→狸穴坂→五大山不動院→檜町公園→報土寺→円通寺坂→浄土寺→赤坂見附駅


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。


使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ



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11月23日 古地図散歩に行こう!日本橋〜芝

江戸時代の古地図を見ながら東京散策、歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、11月23日は日本橋から芝の増上寺にかけて歩いてきました。


江戸時代初期に架けられた日本橋は、江戸時代も今も日本の道路の起点です。江戸時代には東海道、中山道、日光道中、甲州道中、奥州道中の五街道をはじめとする諸街道の起点でしたし、現在も1号、4号、6号、14号、15号、17号、20号の各国道の起点になっています。


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明治時代の日本橋(国立国会図書館蔵)


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現在の日本橋



当舎の古地図散歩で使用している「金鱗堂尾張屋清七板江戸切絵図」に描かれている日本橋はこれです。


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絵師たちも日本橋の絵を描いてきました。おそらく一番有名な日本橋の浮世絵であろう歌川広重の描いたものがこれ。


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(国立国会図書館蔵)



葛飾北斎も日本橋を描いています。現在はビルや高速道路のために見えませんが、江戸時代の日本橋からは富士山がよく見えました。


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(国立国会図書館蔵)



いつもの古地図散歩では、幹線道路よりも江戸時代から残る道を求めて何度も曲がりながら歩くことが多いのですが、今日は現在の国道15号、江戸時代の東海道をほぼまっすぐに芝の増上寺まで歩きます。


日本橋を発ってほどなく、八重洲通りと交差する日本橋三丁目の交差点があります。ここの中央分離帯にこのような像が。


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ここは江戸時代初期に中橋という橋が架かっていた場所で、のちに中橋広小路町になりました。


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ここにある像はヤン・ヨーステン像です。江戸時代初期に日本にやってきたオランダ人航海士で、徳川家康に仕えて江戸に屋敷をもらいました。その屋敷のあった場所が後に八代洲と呼ばれ、それが八重洲の地名の由来です。


八重洲地下街にも色違いのヤン・ヨーステン像があります。


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この中橋の南側の東海道沿いには、江戸時代初期に諸国から大道芸人が集まり芝居小屋も立っていました。そのうちの一つが京都の狂言師中村勘三郎が立ち上げた猿若座で、それが江戸歌舞伎の発祥といわれています。京橋には「江戸歌舞伎発祥之地」の碑が立っています。


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京橋から新橋までが銀座ですが、京橋も新橋も江戸時代の東海道に架かっていた橋の名前です。高速道路建設に伴って川は埋められ橋は撤去されました。跡地の首都高速ガード下には今も明治時代・大正時代の橋の親柱が残されています。


新橋には、江戸時代の半ばの一時期、江戸城の門があったことがあります。宝永7年(1710)に新井白石が朝鮮通信使の来日に合わせて造った門なのですが、24年後に火事で焼けてしまい、それ以降再建されることはありませんでした。そのため正徳4年(1714)の地図には芝口門が記載されていますが・・・


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(国立国会図書館蔵)



文久元年(1861)に造られた江戸切絵図には門が絵かがれていません。


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新橋跡の高速道路ガード下から少し東に入ったところに、芝口門跡の碑があります。


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「芝口」の別名のとおり、新橋が芝の入口でした。芝といえば増上寺。駅の名前にもなっている「大門」は増上寺の惣門のことです。江戸時代の地図にも「表門」として描かれています。


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これが現在の大門。今のものは昭和12年に鉄筋コンクリートで再建されたものですが、それ以前は江戸城大手門の門が移築されたものでした。将軍菩提寺の増上寺、以下に大切にされていたのかがわかります。


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江戸時代には大門をくぐると、道の両側に増上寺の塔頭寺院が並んでいました。かつては築地塀と門がずらっとつづいていたのですが、今やほとんどがビルになってしまっています。それでも廣度院前の一角だけは、江戸時代に築かれた門と築地塀が残っています。


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今回の古地図散歩は、増上寺が終点です。ライトアップされた東京タワーがきれいでした。


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今回のコース
日本橋→白木屋の井戸跡→日本橋高島屋→中橋跡→京橋跡→銀座発祥の地碑→金春屋敷跡→芝口門跡碑→新橋跡→旧新橋停車場→仙台藩上屋敷跡 →芝大神宮→三解脱門→増上寺→徳川家墓所


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

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2014年11月27日

11月22日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀5

江戸時代の古地図を見ながら東京を歩けば、今まで気付かなかった「江戸」が見えてくる歩き旅応援舎の古地図散歩、11月22日の午後は「江戸城外堀5」のコースを歩いてきました。


全長約15kmの江戸城外堀は、3代将軍徳川家光の時代に築かれ、東京の町づくりにも大きな影響を与えています。その外堀を5回に分けて歩く江戸城外堀シリーズのうち、水道橋から隅田川まで歩くのが「江戸城外堀5」コースです。


神田川は江戸時代の初期に、江戸城北方の堀として掘られた人工の川で、その後の外堀建設のときに江戸城の東・南・西とめぐってきた堀と合流して外堀の一部となりました。「江戸城外堀5」のコースではこの神田川にそって歩きます。


まずは水道橋。この橋は江戸時代初期には「吉祥寺橋」と呼ばれていました。神田川の北側にあった吉祥寺へと通じる橋だったからですが、明暦の大火によって焼けてしまった吉祥寺が駒込に再建された後は、すぐ横に神田上水の樋が架かっていたことから「水道橋」と呼ばれるようになりました。


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東京都水道歴史館にある上水樋の模型



この上水樋があった場所には、現在碑が建てられています。


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ちなみに、水道橋の北側にあった吉祥寺の門前町の人たちが、明暦の大火後に五日市街道沿いを開拓して移り住んだのが武蔵野市の吉祥寺です。


現在御茶ノ水駅があるところには、江戸時代に橋はありませんでした。外堀(神田川)の北側には湯島聖堂・昌平黌・神田明神があり、南側は駿河台と呼ばれる旗本屋敷が並ぶ地でした。ここで外堀沿いに太田姫稲荷という神社がありました。


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戦国時代の江戸城を築いた太田道灌が、娘の疱瘡の治癒を願って建てたと伝わる神社です。明治時代の鉄道建設にともなって太田姫稲荷神社は移転したため、現在では駿河台の坂道を下ったところにあります。


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それではもとあった場所はどうなっているかというと、外堀の土手に生えた木に「元宮」の札が下がり、「ご自由にお取りください」と太田姫稲荷神社のお守りが入った箱が置かれています。


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お守りを無料で配布するとは、太田姫稲荷神社、なかなか太っ腹です。


さて、幕府の学問所であった昌平黌の前には昌平橋という橋が架かっていました。その昌平橋の隣の筋違橋門のあった場所には、明治時代の終わりころに駅が造られました。それが万世橋駅です。


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万世橋駅(国立国会図書館蔵)



この写真にある煉瓦造りの立派な駅舎は関東大震災で焼けてしまい、近くに神田駅や秋葉原駅ができたことで利用者の数も減っていき、昭和18年には駅業務は休止され、その後再開することはありませんでした。


跡地は長らく交通博物館でしたが、博物館は平成18年に閉館し、昨年になって商業施設mAAch ecute(マーチエキュート)となりました。


それにともなって発掘された万世橋駅の駅舎の遺構が見学できるようになったり、


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ホームへと通じる明治時代・大正時代に造られた廊下と階段を階段を通れるようになりました。


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建築当時のまま残っている廊下も階段も、なかなかの重みがあります。明治時代に造られた階段を上ってホームの跡に行き、そして大正時代に造られたままの階段を下りると・・・


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建築当時のまま・・・ だよね・・・



秋葉原駅を過ぎると、外堀沿いに神社があります。柳森神社です。この辺りの外堀の土手には柳が生えており、それが神社の名の由来です。江戸時代の地図にも柳の木が描かれています。


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今もその場所には柳森神社があります。神社内にある福寿神は5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が信仰していた神社で、貧しい生まれだった桂昌院が他を抜いて大奥の最高位まで上り詰めたことから「他抜き(たぬき)」ということで「お狸様」と呼ばれています。


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江戸城外堀の最後の門である浅草橋門の跡は、その名のまんま浅草橋になっています。この橋の近くには外堀の石垣石が置かれています。


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この先で外堀(神田川)は隅田川に合流します。ここが外堀の終点です。この合流点に架かっている柳橋が、今回の古地図散歩のゴールとなります。


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今回のコース
水道橋駅→上水樋の碑→大砲鋳場跡→御茶ノ水の碑→大久保彦左衛門屋敷跡→小栗上野介屋敷跡 →太田姫稲荷神社→筋違見附跡→万世橋駅跡→柳森神社→関東郡代屋敷跡→浅草見附跡→柳橋


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

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posted by 歩き旅応援舎 at 03:04| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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