2015年10月31日

10月31日 古地図散歩に行こう!神田稲荷神社めぐり

江戸の古地図を見ながら歩くと東京の町の記憶が見えてくる歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、10月31日は「神田稲荷神社めぐり」コースを歩いてきました。

この日のお客さんの1人が「稲荷神社は町の記憶装置」とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりです。稲荷神社だけを見ているとわかりませんが、江戸時代の地図と比べ合わせてみると稲荷神社にはこの町の歴史が刻みこまれていることがよくわかるのです。

この日回った稲荷神社は全部で18社。とてもこのブログにすべては書ききれませんので、主だったところをご紹介します。

まずは大手町駅集合、ここから北上し鎌倉橋を渡ります。するとそこには御宿稲荷神社が。江戸時代の地図にも載っている神社です。

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ここは徳川家康が初めて江戸にやってきたとき、家康が宿泊した家の邸内社を、後に幕府が境内地を用意して独立した神社にしたものと伝わっています。

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古地図をよく見ると、この神社の周囲の町は「三河町」。家康が江戸入りしたとき、家康の出身地三河からついてきた人たちが住んだ場所だといわれています。

神田駅の方へと進みます。すると駅前の繁華街の中に稲荷神社があります。

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江戸時代の地図を見ると、ここは竪大工町と描いてあります。

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この地図は幕末ころに造られたものですので、江戸時代前期の地図を見てみますと・・・

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「佐竹修理太夫」と描かれています。ここは当初秋田藩佐竹家の屋敷があったのです。それが火事で焼けた後に移転し、町屋となりました。大工が多く住んでいたのが「竪大工町」の由来といわれています。

屋敷は引っ越したものの、邸内社だった稲荷神社はこの地に残りました。そして火除けの神様として町の人たちに信仰されるようになったのです。

稲荷神社は本来は農業と穀物の神様です。稲荷神社は広く信仰されましたから、信仰する人や稲荷神社が置かれた状況で新しい御利益へと変化するのが稲荷神社の特徴とも言えます。

さらに北に歩いて万世橋の近くへと向かいます。途中には「江戸名所図会」を編纂した斎藤月岑の屋敷跡の碑があります。

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斎藤家は雉子町の名主だったのです。

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今回のコースは、古くて素敵な建物が途中にたくさんあるのも魅力の一つです。

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建物に見とれていると初期の目的を忘れてしまいますので、先に進みます。

思い出しました。今日は稲荷神社めぐりでした。こちらの延寿稲荷は越前大野藩土井家の屋敷内にあった神社です。

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関東大震災で倒壊したところ、付近で疫病が流行ったために、越前大野にある延寿稲荷神社から勧請を受けて再建した神社です。

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小さなお稲荷さんです。賽銭箱もこんなに小さいです。

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稲荷神社をめぐっていると、中には再開発でビルの1階の一部屋に引っ越してしまった神社もあります。

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靖国通りを西に進むと五十(ごとう)稲荷という変わった名前の神社があります。

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ここは足利藩主だった戸田家の屋敷内にあった稲荷神社です。本来の名前は「栄寿稲荷神社」ですが、足利では5の日と10の日に織物市が開かれることから、この神社も5と10の日には祭礼を行い庶民に開放され、それがために「五十神社」と呼ばれるようになったのです。

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神田川を渡って神田明神に来ました。

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あれ?神田明神の神様って、大黒様と平将門だよね?と思うところですが、実は本殿の裏側に稲荷神社が3社もあるのです。

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まずは末広稲荷神社。

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ここには稲荷神のほかに級長津彦命と級長戸辺命という風の神様が祀られています。江戸時代後期にはここにあったことが確認されるのですが、創建を含めて風の神が祀られた経緯も謎の神社です。

次に三宿稲荷神社。

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今回最初の方によく似た名前の「御宿稲荷」に行きましたが、そことは別の神社です。もともとは御宿稲荷と同じ三河町にありました。しかし、三宿稲荷は家康とは関係ないらしいのです。三河から来た人たちの宿にあった神社などともいわれていますが、明確な由来はわかりません。

最後に浦安稲荷神社。

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神田明神の中でももっとも奥まったところにある神社です。最初は江戸湾沿いの漁村にあり、豊漁と海の安全の神様として祀られていました(ここでも御利益が変化しています)。つまり「浦、安かれ」ということで「浦安稲荷神社」です。神田明神内には江戸時代後期に移転してきました。

今回のコースはこれで終了です。町中でよく見かける稲荷神社ですが、古地図と照らし合わせてみるとなかなか奥深いことがわかりました。このブログを見て稲荷神社に興味を持たれた方は、次回開催時に是非ご参加ください!

今回のコース
大手町駅→御宿稲荷神社→佐竹稲荷神社→大柳稲荷神社→一八稲荷神社→真徳稲荷神社→和光稲荷神社→松尾神社→豊潤稲荷神社→出世稲荷神社→延寿稲荷神社→幸徳稲荷神社→豊川稲荷神社→五十稲荷神社→太田姫稲荷神社→講武稲荷神社→神田神社→御茶ノ水駅


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。このブログに書いたことよりも、さらにたくさんのお話をしていますので、「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。多くの方たちのご参加をお待ちしております。

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10月31日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀3

江戸時代の古地図を見ながら東京を歩くと今まで気付かなかった江戸の痕跡が見えてくる歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、10月31日は「江戸城外堀3」コースを歩いてきました。

江戸城外堀は寛永13年(1636)に完成し、それによって江戸城の領域が定まったのですが、それと同時に江戸の町づくりの基礎にもなった堀なのです。一例を挙げれば、外堀の内側には武家屋敷を集中させ、お寺などは外堀に外側に移転させて寺町をつくるといったようにです。

ですから江戸城外堀の古地図散歩を歩くと江戸の町の概要がわかる、まさに古地図散歩の基本のようなコースなのです。

今回のコースは溜池山王駅集合で、四ツ谷駅まで歩きます。

地下鉄の溜池山王の駅を地上に出たら、まずは赤坂の町を散策します。

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目的は赤坂に住んでいた有名人、勝海舟の旧宅跡を探すことです。

赤坂の町は、現在でも江戸時代の道がそのまま使われているところが多いところです。赤い矢印の道を進んでいきます。

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右折左折を繰り返すと、勝海舟邸跡の標柱が見えてきました。

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勝海舟は3度にわたって赤坂に住んでいます。最初は結婚して独立したとき、次は幕府内で出世して屋敷を与えられた幕末期、そして明治になってからです。

この標柱のある場所は、幕末に勝海舟が住んでいた場所です。

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この地図に「勝麟太郎」と書かれている場所にあたります。有名な西郷隆盛との江戸城無血開城の会見もこの場所に住んでいるときの出来事です。

この屋敷の裏手の崖の上には赤坂氷川神社があります。

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享保15年(1730)に徳川吉宗が「成敗!」と建立した神社です。関東大震災にも第二次大戦の空襲にも焼けず、建立当初の建物が今も残っています。

次に訪れたのが勝海舟が明治時代に住んでいた家。

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現在は老人ホームになっており、敷地の片隅に碑があります。江戸時代には柴田松之丞の屋敷でした。

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3番目は勝海舟が結婚して住んでいた家。説明板など全くありません。現在は焼き肉屋さんです。

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勝海舟の家をめぐったら、外堀へと戻ります。赤坂見附の交差点から坂道を昇ると、赤坂門の跡があります。江戸時代の石垣が今も残っています。

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赤坂門の別名は「赤坂見附」。これが丸ノ内線の駅の名前や交差点名の由来となりました。

赤坂門から四ツ谷門にかけての外堀の内側には、紀伊藩徳川家、尾張藩徳川家、彦根藩井伊家の屋敷がありました。これらの頭文字をとったのが「紀尾井町」そして「紀尾井坂」です。

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現在は、紀伊藩徳川家の屋敷跡が現在工事中の赤坂プリンスホテル跡、彦根藩井伊家の屋敷跡がホテルニューオータニ、尾張藩徳川家の屋敷跡が上智大学となっています。

紀伊藩邸跡の工事現場には碑が立っています。

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こちらは彦根藩邸跡のニューオータニです。

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ニューオータニの庭園は、当時の屋敷の庭園を今に引き継いだものです。

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この場所が彦根藩井伊家の屋敷になる前は、虎退治で有名な加藤清正の屋敷でした。今の庭園にも加藤清正時代の庭石と伝わる石が残っています。

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そしてこれは加藤清正が可愛がっていた猫です。

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ホテルニューオータニの庭園を通り抜けると、そこには喰違見附の跡があります。江戸城外堀の門の中でも古い門で、石垣ではなく土塁で築かれた門です。今もその土塁が残っています。

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ここからは外堀内側に築かれた土塁の上を歩きます。外堀を掘った土を積み上げて土塁としたもので。

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桜の名所でもありますが、桜の木は昭和になってから植えられたものです。

この土塁の上を歩き続けると四ツ谷駅に出ます。四ツ谷駅は江戸時代には外堀の門があった場所です。

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その門の痕跡は次回「江戸城外堀4」コースの話といたしまして、今回の古地図散歩は四谷駅前で終了です。

今回のコース
溜池山王駅→勝海舟邸跡→赤坂氷川神社→赤坂門跡→弁慶橋→井伊家屋敷跡日本庭園→喰違見附跡→紀尾井坂→清水谷公園→江戸城の土塁→心法寺→四ツ谷門跡→四ツ谷駅

歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。このブログに書いたことよりも、さらにたくさんのお話をしていますので、「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。多くの方たちのご参加をお待ちしております。

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2015年10月18日

10月18日 散歩かふぇちゃらぽこでの江戸城外堀古地図散歩(前半)

10月18日の江戸城外堀の古地図散歩は東高円寺にある散歩かふぇちゃらぽこ主催のものでしたが、そこでガイドをしてきました。

散歩かふぇちゃらぽこは、東高円寺にある町あるきや街道歩きなど「歩く」ことをコンセプトにした喫茶店です。もちろん普通の食事や喫茶もできますが、「歩く」に関する講座やイベントも開催しています。

今回の江戸城外堀コースは、いつも歩き旅応援舎で開催している3時間で約5qを歩くものとはちがい
・一日かけてあるく
・3回にわけてあるく
ということでいつもよりも長め、コースもいつものものとは少し変えてあります。

そういうわけで、今回は長く歩きましたので、ブログも前半と後半の2回にわけて掲載します。

始まりはいつもと同じです。水道橋駅から南に少し歩いた堀留橋からはじまります。

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堀留橋近くでまずは外堀の説明です。お客さんは広い年代の人たちが集まりました。

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マスコミなどでは古地図を使ったウォークイベントなどに関して「高齢者に人気」と言われることが多いのですが、実際にイベントの現場で働いてみればわかりますが、決して高齢の方々ばかりに人気があるわけではありません。若い人から年配の方までいろいろな人たちが楽しんでいるのです。

まずは堀留近くの元飯田町へ。ここには中坂という坂道があり、その坂の下に滝沢馬琴が31年にわたって住んでいました。

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住居の跡などは全く残っていませんが、井戸枠の形をした石と碑が置かれています。

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ここから外堀最初の門だった雉子橋門の跡に向かいます。

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現在は日本橋川の一部となっている外堀跡ですが、江戸時代の地図同様に今もゆるく湾曲しています。

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雉子橋門の跡にはこのようなもっともらしい石垣が。実はこの石垣らしきものには秘密があるというお話をしました。

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雉子橋から先に進むと、ここでは江戸時代の石垣が今でも護岸として使われています。

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向こう側には先ほどの雉子橋門跡の石垣のようなものが見えますが、石の積み方の違いがわかりますか?

江戸時代の古地図にも石垣が描かれています。

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一ツ橋門の跡に着くと、そこには城門の石垣の一部が今も残っています。

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コンクリートの板で支えてありますが、それも傾いていて今にも崩れそうです。刺激しないように静かに通ります。

神田橋門の跡の近くまで来ました。

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すると対岸にはこのように石が置かれています。

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公園内にもたくさんの石が。

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これらは外堀と重大な関係がある石なのですが、その話はまた後ほど・・・

神田橋門から竜閑橋にかけては、外堀の北側が「鎌倉河岸」と呼ばれる荷揚場となっていました。

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現在はビルが並んでいますが、最後の荷揚場は昭和になるまで使われていたそうです。説明板と碑が設置されています。

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この鎌倉河岸のある外堀から、細い運河が流れ出ていました。これが竜閑川です。

竜閑川の入口には、竜閑橋という橋が架けられていました。現在、橋があった場所の近くの緑地には、大正時代に架けられたコンクリート製の竜閑橋が保存されています。

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竜閑橋を過ぎると、その先には日本銀行があります。この場所には江戸時代には江戸三年寄(江戸の名主をとりまとめる町方の役職)の舘市右衛門の屋敷と金貨の製造所である金座がありました。

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この日本銀行、石造りの立派な建物で国の重要文化財に指定されていますが・・・

実はちがうんです!!


というところで次回へつづく・・・。


散歩かふぇちゃらぽこでの江戸城外堀古地図散歩、次回は11月29日です。参加者募集中。くわしくはこちら
posted by 歩き旅応援舎 at 12:00| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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