2015年12月06日

12月6日 古地図散歩に行こう!赤坂見附〜牛込見附

江戸時代の古地図を見ながら歩けば東京のルーツが見えてくる歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、12月6日は「赤坂見附〜牛込見附」のコースを歩いてきました。

「見附」とは江戸城外堀の城門のこと。門の上の櫓から敵を見付けるから「見附」です。東京メトロ丸ノ内線・銀座線の赤坂見附駅は、赤坂門が近くにあったことからこの駅名となりました。

Image1.jpg


今回はコース名からもわかるとおり、江戸城の城門をめぐります。訪れる城門は赤坂門、清水門、牛込門。赤坂門と牛込門は外堀の、清水門は内堀の門でした。

赤坂見附駅を出て国道246号の坂道を上ったところには、今も赤坂門の石垣が残っています。

IMG_2184.JPG


色づいた銀杏がきれいです。

今回はこの赤坂門の跡からスタートです。

赤坂門を入ったところには、紀伊藩徳川家の屋敷がありました。

Image2.jpg


8代将軍の徳川吉宗と14代将軍の徳川家茂がこの紀伊徳川家の出身です。

この屋敷は江戸時代後期に火事で焼け、その後は再建されることがなかったそうです。明治時代になると北白川宮邸となり、大正時代から李王家邸(建物が建てられたのは昭和5年)となりました。

戦後、李王家邸を買い取った西武がこの屋敷をホテルとしました。それが赤坂プリンスホテルです。

IMG_2185.JPG


現在、赤坂プリンスホテル本館だった旧李王家邸を竣工当時の外観に戻す工事中です。

紀伊藩の屋敷跡地は急斜面にあります。清水谷公園へとつづく急で長い階段があります。

IMG_2189.JPG


清水谷公園には、この前の道で暗殺された大久保利通の碑があります。大久保と親しかった旧薩摩藩士の奈良原繁らが建てたものです。

IMG_2191.JPG


東京遷都を決めた人です。西郷隆盛や木戸孝允(桂小五郎)と比べると影が薄いですが、この人がいなければ今の日本はありませんでした。

甲州街道を越えると文房具店があります。

IMG_2194.JPG


ここは江戸時代の一時期に善国寺があったところです。

Image3.jpg


善国寺と聞いてもピンと来ないかも知れませんが、神楽坂の毘沙門様がその善国寺です。

IMG_5105.JPG


馬喰町にあったものが寛文10年(1670)に火事でこの地に移転してきたのですが、寛政4年(1792)に再び火事で焼けて神楽坂に引っ越したのです。

番町を通り抜けると千鳥ヶ淵に出ます。現在はここに土橋があり代官町通りが通っていますが、これは明治33年(1900)にできたもので、江戸時代にはありませんでした。

Image6.jpg


この江戸時代の地図の左下辺りが現在土橋があるところです。

この土橋を渡ると江戸城内堀の内側、かつての城の中心部であり、今でも道路の右側は皇居となります。

ここでお堀(千鳥ヶ淵)の内側にある土塁に上ってみると、丸い石がいくつもあります。

IMG_2199.JPG


これは第二次大戦中の高射機関砲の台座だったものです。昭和20年(1945)に皇居防衛のために設置されたもので、この石の台座の上に360度回転可能な98式高射機関砲が置かれ、低空で進入してきた米軍機を射撃したそうです。

江戸城の土塁も、戦争中に意外な利用のされ方をしていたのです。

このまま土塁の上を歩いていくと、煉瓦造りの建物が見えてきます。

IMG_2205.JPG


ここは東京国立近代美術館工芸館、かつては近衛師団司令部の庁舎だった建物です。

江戸城の北の丸は現在は公園となっていますが、昭和20年まではここに近衛師団がありました。この煉瓦造りの庁舎の中で、昭和20年8月14日に降伏を認めたくない近衛師団の一部将兵が反乱を起こし、玉音盤の奪取を計るも失敗したのです。

北の丸公園からは清水門を通って外に出ます。

IMG_2216.JPG


この門の石垣には、たくさんの刻印が残されています。

IMG_2220.JPG


この石垣の刻印は、幕府から江戸城の門や石垣の造築を命じられた大名が石切場から切り出した石に刻んだものです。

清水門から出たら、九段下を通って飯田橋駅方面に向かいます。フィリピン大使館と暁星学園の間にある二合半坂を下ります。

IMG_2224.JPG


この坂道も江戸時代からあります。

Image8.jpg


ここで坂の左側に「新見豊前守」と描かれた屋敷がありますが、この人は新見正興といい、幕末に外国奉行を務めて日米修好通商条約の批准のために勝海舟らとともに渡米した人物です。彼の孫が「花子とアン」に出てきた蓮子のモデル柳原白蓮です。

飯田橋駅前に出ました。ここに大きな石垣があります。

IMG_2227.JPG


これが牛込門(牛込見附)の石垣です。

Image9.jpg


この門の石垣は明治35年(1902)に大部分が撤去されましたが、今もその一部が残っています。

今回は、飯田橋駅に着いたところで終了です。


今回のコース
永田町駅→赤坂門跡→諏訪坂→紀伊徳川家屋敷跡→金鱗堂尾張屋跡→善国寺坂→滝廉太郎住居跡→五味坂→千鳥ヶ淵→北の丸公園→清水門→九段下交差点→筑土神社→二合半坂→東京大神宮→牛込門跡→飯田橋駅


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。このブログに書いたことよりも、さらにたくさんのお話をしていますので、「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。多くの方たちのご参加をお待ちしております。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図(C)こちずライブラリ 転載禁止


posted by 歩き旅応援舎 at 12:00| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。