2015年08月23日

8月23日 夏のショートコース Eコース「後楽園〜飯田橋」

7月8月の「古地図散歩に行こう!」がお休みの間、期間限定で開催してきた「夏のショートコース」ですが、当初の予想に反して30人以上の方々にご参加いただきました。ありがとうございました。

その「夏のショートコース」も、8月23日の夕涼み散歩が最終回となりました。歩いたのは「後楽園〜飯田橋」コースです。

東京メトロ後楽園駅の周辺、神田川から春日通りにかけての一帯は、江戸時代には水戸徳川家の上屋敷だった場所です。さんざん煽って悪の道に走らせておいてから「この紋所が・・・!」と言って叩きのめす、あの時代劇の主人公のご隠居様が住んでいたところです。

Image1.jpg


この地は明治時代になりますと陸軍用地となりました。この場所に砲兵工廠という小銃・大砲の研究所兼工場が造られたところです。

そういう目で後楽園駅前にある礫川公園を眺めると、植え込みの端にこのようなレンガ構造物が。

IMG_2866.JPG


実はこれ、砲兵工廠時代の試射場の入口なのです。試射場は地下に造られ、現在の中央大学の下にまで続いているそうです。

ここにあった砲兵工廠なのですが、関東大震災で大被害を受けて九州へと移転しました。その跡地が後楽園球場や後楽園遊園地となり、現在の東京ドームシティへとなっていくのです。

いったん春日通りに出て、水戸家の屋敷沿いだった道へと入ります。江戸時代の地図にある西岸寺も常泉寺も健在です。

Image2.jpg


IMG_2869.JPG


特に常泉寺には昭和初期のものと思われる立派な煉瓦塀が残っています。

IMG_2870.JPG


この道を進むと牛天神に出ます。源頼朝の夢に菅原道真が現れたことから建てられた神社と伝わります。

Image4.jpg


ちなみにこの地図で牛天神の下に描かれている川は神田上水です。まずは水戸家の屋敷内に流れ込み、ここで池の水に使われてから江戸の生活用水として利用されていました。

牛天神に話を戻しますと、ここの狛犬は一風変わっています。なんと子狛犬に授乳中なのです。

IMG_2877.JPG


天神様と言えば梅ですが、菅原道真が太宰府に左遷された後、道真が愛していた屋敷の梅の木が、主人を慕って太宰府まで飛んでいったという「飛梅伝説」はよく知られています。ところでこの伝説、飛んでいったのは梅だけではなく、道真を慕う松も一緒に飛んでいったのですが途中で力尽きて落ちてしまい、梅だけが道真に再開することができたという悲しい話もあるのです。

牛天神の南側は急斜面になっています。ここにある石段もいい味を出しています。

IMG_2882.JPG


牛天神から神田川方面に向かいます。途中で小石川後楽園の外塀沿いを歩きますが、ここの石垣は江戸城外堀の石垣を再利用したものです。石垣を築いた山崎家治の刻印がたくさん残されています。

IMG_2886.JPG


神田川は江戸時代には江戸城北側の外堀としても機能していました。市ヶ谷からつづく外堀に、北西から流れてきた神田川が合流して、東の隅田川へと流れていったのです。

Image5.jpg


この合流点に明治時代に架けられた橋が飯田橋です。今も飯田橋はありますが、この橋を横断歩道上から見ると・・・

IMG_2887.JPG


入口のない歩道が橋の上にあります。左側の橋が後から作られたために、入口が塞がれた歩道だけが残ってしまったのです。

さて、この辺りは外堀と神田川が区境となっており、外堀の南東側が千代田区、神田川と外堀の北側が文京区、神田川と外堀の西側が新宿区となっています。この区境はそれぞれ川と濠の中央を通っていたのですが、昭和58年の飯田橋駅前再開発により、外堀が暗渠化されてその上に飯田橋セントラルプラザ(飯田橋ラムラ)が建てられたのを機に、区境が一部変更となりました。

ビルの真ん中を縦断していた区境を、千代田区と新宿区が同面積を交換することでビル内を横断するように付け替えたのです。それを表すプレートが飯田橋セントラルプラザ1階の床にあります。

IMG_2889.JPG


飯田橋駅に到着したことで、今回のコースが終了するとともに「夏のショートコース」の全コースが終了となり、夏の陽は徐々に暮れていきました。


歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」は、9月19日から再開します。ショートコースで歩いた約3倍の距離を古地図を見ながら江戸の痕跡と現在東京のルーツを探して歩きます。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ


posted by 歩き旅応援舎 at 17:30| Comment(0) | 夏のショートコース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月23日 夏のショートコース Dコース「溜池山王〜六本木一丁目」

いつも開催している「古地図散歩に行こう!」が7月8月の暑い時期はお休みしますので、その間を埋めるものとして企画した「夏のショートコース」、ついに最終日となりました。

最終日たる8月23日の早朝散歩は、「溜池山王〜六本木一丁目」コースです。おもに赤坂を中心に、江戸の古地図を見ながら歩きます。

まずは東京メトロの溜池山王駅から地上に上がります。

IMG_2846.JPG


すると目の前にあるこのまっすぐな道も、江戸時代から使われている道です。ここを通って、まずは山王日枝神社へと向かいます。

Image2.jpg


現在は外堀通り沿いに大きな鳥居が立っている山王日枝神社ですが、もともとは神社の東側に表参道がありました。国会議事堂の南から山王日枝神社に向かう道がそれで、この参道からつづく石段を上ると、神社の随神門が正面に見えます。

IMG_2847.JPG


随神門をくぐると正面に社殿が見えます。

IMG_2848.JPG


山王日枝神社の祭神の大山咋神は山の神様です。そのため神様のお遣いは猿なのです。社殿前には狛犬の代わりに猿の石像が置かれています。

IMG_2849.JPG


山王日枝神社から外堀通り方面に下りていきます。外堀通りはその名のとおり江戸城外堀の跡です。この辺りでは外堀の元となった川をせき止めて溜池を造っていました。「溜池山王」という駅名はここから来ています。

Image2.jpg


外堀通りを越えると、そこから先が赤坂です。あまり知られていませんが、赤坂には江戸時代の道がたくさん残っています。

Image5.jpg


この道もこの道も、江戸時代から使われている道です。

IMG_2853.JPG

IMG_2852.JPG


そしてやってきたのが赤坂氷川神社。徳川“暴れん坊”吉宗が享保15年(1730)に建てた社殿が今も使われている神社です。

Image4.jpg


IMG_2858.JPG


そして氷川神社といえば、これ。

IMG_2856.JPG


かわいそうな狛犬!


頭を直撃した桜の枝をどうしてあげることもできないまま氷川神社を後にした私たちが見たものは、神社のお向かいにある石垣です。

IMG_2859.JPG


なぜか石垣の形状が違います。ここを江戸時代の地図で見ると・・・

Image1.jpg


ちょうど真田家と相馬家の屋敷の境目に当たります。これが石垣のちがいの原因のようです。

この石垣沿いに進むと下り坂に出ます。この坂道が「忠臣蔵」の「雪の別れ」のシーンで有名な南部坂です。江戸時代の地図を見ると坂道を下ったところに稲荷神社があります。

Image6.jpg


この稲荷神社は今もあります。久国神社がそれです。

IMG_2860.JPG


太田道灌が粟田口久国の刀を奉納したと伝わることが神社の名前の由来です。そしてこの神社の狛犬は・・・

IMG_2861.JPG


いい表情をしています!


このように江戸時代の名残が色濃く残る赤坂ですが、久国神社に面する六本木通りには高速道路の高架が走り、その向こう側には高層ビルが建っています。

IMG_2862.JPG


逆にいえばこのように近代化が進んだ町にも、よく見れば“江戸”がたくさん残っているのです。江戸時代に描かれた古地図を頼りに隠された“江戸”をさがし東京のルーツをさぐる、これが古地図散歩の醍醐味です。


歩き旅応援舎では「古地図散歩に行こう!」を9月19日から再び始めます。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ


posted by 歩き旅応援舎 at 09:00| Comment(0) | 夏のショートコース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

8月15日 夏のショートコース Cコース「四ツ谷〜市ヶ谷」

7月8月はいつもの「古地図散歩に行こう!」がお休みですので、その間開催している夏のショートコース、8月15日朝は「四ツ谷〜市ヶ谷」コースを歩いてきました。

四ツ谷駅から市ヶ谷駅にかけてのJR中央線・総武線は、江戸城外堀の中に敷かれています。そして四ツ谷駅と市ヶ谷駅も、外堀にあった城門の跡に造られています。江戸時代前期に築かれた外堀も、このようにして現在の町づくりにも大きな影響を与えているのです。

Image4.jpg


そんなわけでして、四ツ谷駅の前には今も城門の石垣の一部が残されています。

IMG_2831.JPG


この石垣は目立つので多くの人が知っているところですが、実は他にもいくつもの石垣やその痕跡が残っています。四ツ谷駅、実は見どころが多いのですよ!

四ツ谷駅を出たら、今年5月に発掘調査説明会のあった四谷一丁目遺跡の前を通り、細り路地を抜けて再び外堀の前に戻ってきました。外堀沿いにある外堀通りは、緩い坂道となっています。

Image2.jpg


この坂は江戸時代に坂の途中に屋敷を持っていた旗本の名前にちなんで、高力坂と呼ばれています。歩道上にはその旨の碑もあります。

IMG_2837.JPG


市ヶ谷駅が近くなったら、急階段で有名な亀岡八幡宮へ。この急階段も外堀建設に関わりがあるというお話しもいたしました。

Image4.jpg


江戸時代には市ヶ谷八幡宮と呼ばれていた亀岡八幡宮、太田道灌が鶴岡八幡宮から勧請して建立したと伝えられています。

境内には刀匠たちを顕彰する碑や

IMG_2838.JPG


このように上が丸く窪んだ謎の石などがありました。この石の謎、解けたときには参加者のみなさんもびっくりでした。

IMG_2839.JPG


亀岡八幡宮の裏手は防衛省なのですが、この防衛省の敷地は尾張藩徳川家の屋敷だった場所です。明治時代になり、この屋敷の跡地が陸軍士官学校になった流れで、現在は防衛省となっているのです。

Image3.jpg


そのため防衛省の敷地沿いには「陸軍」と刻まれた境界標が並んでいます。つまり、これこそが江戸時代に尾張藩邸があった名残なのです。

IMG_2842.JPG


そして市ヶ谷駅前に出ると、外堀とJRの線路を跨いで外堀通りから駅の入口へと至るの道には古い石垣が。

IMG_2843.JPG


市ヶ谷駅も外堀にあった城門の跡です。この石垣は城門が築かれた江戸時代前期に積まれたもので、今もその上の道は現役で使われていて、大勢の人たちが毎日通っているのです。

日ごろ何気なく通っている場所にも、江戸時代の名残がたくさんあります。それどころか江戸時代につくられた町が、現在の東京にも生きているのです。古地図を見ながら東京を歩くと、そんな知られざる事実を実感できます。


歩き旅応援舎の夏のショートコースは、夏の朝と夕方の1時間、古地図を見ながらする軽い散策です。残る開催予定は8月23日だけですが、参加費も700円ですのでどうぞお気軽にご参加ください。



使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ




posted by 歩き旅応援舎 at 09:00| Comment(0) | 夏のショートコース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。