2016年01月31日

1月31日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀2

江戸の古地図を見ながら歩き、近代ビルが建ち並ぶ町にも江戸の名残がたくさんあることを見て回る歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、1月31日の午前は「江戸城外堀2」のコースを歩いてきました。

このコースは東京駅八重洲中央口前から溜池山王駅近くの山王日枝神社まで歩くのですが、実は翌日の2月1日、ほぼ同じ場所での古地図散歩の様子がテレビで放送されました。

テレビ朝日系「羽鳥慎一のモーニングショー」内「良純未来図」のコーナーです。

私(岡本永義)が石原良純さんを案内してきたのですが、テレビで放送されたものと歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」の違いは、まずは歩いた順序が逆であること、そして「古地図散歩に行こう!」は途中で食べ物屋さんが全く出てこないバリバリに硬派な町あるきであることです。

さて、始まりは東京駅八重洲口、昭和20年代までは八重洲口を出ると目の前に江戸城外堀が残っていました。この「八重洲」の地名の由来となったのが関ヶ原合戦の少し前に日本にやってきたオランダ人ヤン・ヨーステンです。

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徳川家康に仕え、初期の江戸幕府の外交顧問を務めていたヤン・ヨーステンが屋敷をもらった場所が「八代洲川岸」です。この「八代洲」が「八重洲」に転じたのです。

でも、上の地図の「八代洲川岸」の場所は東京駅の丸の内口側にあります。ヤン・ヨーステンは実は八重洲口側ではなく丸の内口側に住んでいたというオチのある話なのです。

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なにはともあれ、地名の由来となったヤン・ヨーステンの像が八重洲地下街にあります。

外堀沿いに南に進むと、現在の有楽町の駅前にあたる場所には南町奉行所がありました。

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イトシア建設の折りに発掘された穴蔵(木製の地下収納庫)などが展示してあります。

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さらに外堀沿いに南に向かうと、幸橋門の跡があります。幸橋門から外堀は右に折れ曲がって進みます。

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この付近の地名は「内幸町」。幸橋門の内側であることが由来です。

この内幸町の外堀跡は、明治時代に埋め立てられて現在はビルが建っています。その区画は昔の外堀の形そのまま。

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そのビルの横の道を歩いて行くと文部科学省の前に出ます。

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この文部科学省の旧庁舎は外堀の跡地に建てられていて、その前の道の部分には江戸時代には外堀の虎ノ門がありました。

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文部科学省の中庭は誰でも自由に入ることができます。そこには新庁舎建設時に発掘された外堀の石垣が展示されています。

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さらに地面にはかつての外堀の跡が、石垣の石を並べて表されています。

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それをたどっていくとこのように直角に曲がった石垣が現れます。

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ここで曲がっていた外堀の、ちょうど屈折部内側の石垣が地上に露出しているのです。この石垣は浮世絵にも描かれています。ちょうど赤丸のある部分です。

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この絵の赤丸の左下には滝のようなものが描かれていますが、ここでは外堀に堰が設けられ、その向こう側は溜池になっていたのです。

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この溜池は明治時代に堰を崩したところ水が流出して陸地化してしまいました。現在、そのもっとも深かった部分が外堀通りになっています。

首相官邸は内藤紀伊守の屋敷の跡地にありますが、その前の池の縁には切り揃えられた外堀の石垣の石が並べられています。

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そしていよいよ今回のコースの終着点、山王日枝神社に到着です。上の江戸時代の地図に「星ノ山日吉山王代権現社」と書いてあるところです。

ところが山王日枝神社に着いてみると・・・

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な、なんだ?!この行列は?!?!


いつもは静かな境内の山王日枝神社に、大勢の人が参拝に押し寄せていました。いったい何が起こったのか?!?!

思わぬことで衝撃的な結末となりましたが、今回の古地図散歩はここで終了です。つづきは「江戸城外堀3」のコースで歩きます。


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。このブログに書いたことよりも、さらにたくさんのお話をしていますので、「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。多くの方たちのご参加をお待ちしております。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図(C)こちずライブラリ 転載禁止


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2015年12月06日

12月6日 古地図散歩に行こう!赤坂見附〜牛込見附

江戸時代の古地図を見ながら歩けば東京のルーツが見えてくる歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、12月6日は「赤坂見附〜牛込見附」のコースを歩いてきました。

「見附」とは江戸城外堀の城門のこと。門の上の櫓から敵を見付けるから「見附」です。東京メトロ丸ノ内線・銀座線の赤坂見附駅は、赤坂門が近くにあったことからこの駅名となりました。

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今回はコース名からもわかるとおり、江戸城の城門をめぐります。訪れる城門は赤坂門、清水門、牛込門。赤坂門と牛込門は外堀の、清水門は内堀の門でした。

赤坂見附駅を出て国道246号の坂道を上ったところには、今も赤坂門の石垣が残っています。

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色づいた銀杏がきれいです。

今回はこの赤坂門の跡からスタートです。

赤坂門を入ったところには、紀伊藩徳川家の屋敷がありました。

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8代将軍の徳川吉宗と14代将軍の徳川家茂がこの紀伊徳川家の出身です。

この屋敷は江戸時代後期に火事で焼け、その後は再建されることがなかったそうです。明治時代になると北白川宮邸となり、大正時代から李王家邸(建物が建てられたのは昭和5年)となりました。

戦後、李王家邸を買い取った西武がこの屋敷をホテルとしました。それが赤坂プリンスホテルです。

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現在、赤坂プリンスホテル本館だった旧李王家邸を竣工当時の外観に戻す工事中です。

紀伊藩の屋敷跡地は急斜面にあります。清水谷公園へとつづく急で長い階段があります。

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清水谷公園には、この前の道で暗殺された大久保利通の碑があります。大久保と親しかった旧薩摩藩士の奈良原繁らが建てたものです。

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東京遷都を決めた人です。西郷隆盛や木戸孝允(桂小五郎)と比べると影が薄いですが、この人がいなければ今の日本はありませんでした。

甲州街道を越えると文房具店があります。

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ここは江戸時代の一時期に善国寺があったところです。

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善国寺と聞いてもピンと来ないかも知れませんが、神楽坂の毘沙門様がその善国寺です。

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馬喰町にあったものが寛文10年(1670)に火事でこの地に移転してきたのですが、寛政4年(1792)に再び火事で焼けて神楽坂に引っ越したのです。

番町を通り抜けると千鳥ヶ淵に出ます。現在はここに土橋があり代官町通りが通っていますが、これは明治33年(1900)にできたもので、江戸時代にはありませんでした。

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この江戸時代の地図の左下辺りが現在土橋があるところです。

この土橋を渡ると江戸城内堀の内側、かつての城の中心部であり、今でも道路の右側は皇居となります。

ここでお堀(千鳥ヶ淵)の内側にある土塁に上ってみると、丸い石がいくつもあります。

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これは第二次大戦中の高射機関砲の台座だったものです。昭和20年(1945)に皇居防衛のために設置されたもので、この石の台座の上に360度回転可能な98式高射機関砲が置かれ、低空で進入してきた米軍機を射撃したそうです。

江戸城の土塁も、戦争中に意外な利用のされ方をしていたのです。

このまま土塁の上を歩いていくと、煉瓦造りの建物が見えてきます。

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ここは東京国立近代美術館工芸館、かつては近衛師団司令部の庁舎だった建物です。

江戸城の北の丸は現在は公園となっていますが、昭和20年まではここに近衛師団がありました。この煉瓦造りの庁舎の中で、昭和20年8月14日に降伏を認めたくない近衛師団の一部将兵が反乱を起こし、玉音盤の奪取を計るも失敗したのです。

北の丸公園からは清水門を通って外に出ます。

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この門の石垣には、たくさんの刻印が残されています。

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この石垣の刻印は、幕府から江戸城の門や石垣の造築を命じられた大名が石切場から切り出した石に刻んだものです。

清水門から出たら、九段下を通って飯田橋駅方面に向かいます。フィリピン大使館と暁星学園の間にある二合半坂を下ります。

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この坂道も江戸時代からあります。

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ここで坂の左側に「新見豊前守」と描かれた屋敷がありますが、この人は新見正興といい、幕末に外国奉行を務めて日米修好通商条約の批准のために勝海舟らとともに渡米した人物です。彼の孫が「花子とアン」に出てきた蓮子のモデル柳原白蓮です。

飯田橋駅前に出ました。ここに大きな石垣があります。

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これが牛込門(牛込見附)の石垣です。

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この門の石垣は明治35年(1902)に大部分が撤去されましたが、今もその一部が残っています。

今回は、飯田橋駅に着いたところで終了です。


今回のコース
永田町駅→赤坂門跡→諏訪坂→紀伊徳川家屋敷跡→金鱗堂尾張屋跡→善国寺坂→滝廉太郎住居跡→五味坂→千鳥ヶ淵→北の丸公園→清水門→九段下交差点→筑土神社→二合半坂→東京大神宮→牛込門跡→飯田橋駅


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2015年11月23日

11月23日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀5

江戸時代の町づくりの基礎となった江戸城外堀。ここを江戸時代の古地図を見ながら歩いて江戸の町から東京の町づくりへの移り変わりの痕跡を探す「古地図散歩に行こう!江戸城外堀シリーズ」、全5回の最終回にあたる今回は水道橋駅前から外堀の終点である隅田川合流部の柳橋まで歩きます。

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国立国会図書館デジタルコレクションより


「水道橋」は水道橋駅の東側で神田川にかかっている橋です。その名の由来は神田上水の樋が、この橋の少し下流に架けられていたことです。

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神田上水の樋は現在はありませんが、その場所には碑が建てられています。

水道橋の下を流れる神田川、ここは徳川家康が江戸にやってきたときに水害対策として人工的に造られた川であると同時に、江戸城の北辺を守るための外堀として機能していました。

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水道橋駅から神田川(外堀)沿いに東へ向かうと、次の駅は御茶ノ水駅です。

御茶ノ水駅の南側は、江戸時代には駿河台と呼ばれ、多くの武家屋敷がひしめき合っていた場所でした。

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この「駿河台」という地名の由来は、晩年の徳川家康に従って駿府にいた側近たちが、家康の死後江戸に戻ってきて住んだ場所だからだといわれています。

その側近たちの中には、大久保彦左衛門のような有名人もいたようです。

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ところでこの駿河台の一角に、「太田姫稲荷」と描かれた場所があります。

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ここはもともと太田姫稲荷神社があった場所です。太田道灌がその娘の疱瘡が治ったことで建てた神社だといわれています。

現在の太田姫稲荷神社は駿河台を下ったところにあります。

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これは総武線の敷設工事に伴って、それまで神社があった外堀の土塁が削られることになったために、現在の場所へと移転してきたからです。

さて、御茶ノ水駅の北側には神田明神があります。「江戸の総鎮守」と呼ばれているとおり江戸時代からあった神社です。創建ははっきりしないのですが、奈良時代だとも平安時代中頃だともいわれています。

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江戸時代の初期に現在の場所に移転しました。永田町にある山王日枝神社と並んで「江戸の総鎮守」とされ、祭の時には祭列が江戸城内に入ることを許されていました。

もちろん江戸時代の古地図にも大きく描かれています。

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あまり知られていませんが、神田明神の境内には明治時代に神田川に架けられた万世橋の欄干の一部が置かれています。

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万世橋は、江戸城外堀の筋違門があった東側に架けられました。筋違門は将軍が寛永寺に行くときに通った門です。

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その内側は火除地として「八ツ小路」と呼ばれる広場になっていました。明治45年にこの場所に駅が開業しました。これが万世橋駅です。

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神田川(外堀)沿いに建っている煉瓦造りの建造物が万世橋駅の跡です。

万世橋駅は昭和18年に廃止され、その跡地はその後交通博物館になったりしていましたが、平成25年に商業施設 mAAch ecute(マーチエキュート)となりました。

そのため今では、明治時代に造られた階段を使ってホームがあった場所まで行くこともできます。

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この万世橋駅の跡の東側には、神田明神にかつての橋の一部があった万世橋があります。

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だいぶ薄暗くなってきました。この時期は陽が暮れるのが1年でもっとも早いのです。

隅田川が近くなってくると、船宿が増えてきます。泊められた屋形船も、ライトアップしています。

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やがてこちらもライトアップされた柳橋が見えてきました。

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外堀の一部でもあった神田川は、最後の城門である浅草橋を過ぎた先で隅田川に合流します。この合流地点には柳橋が架けられています。

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古地図散歩の江戸城外堀シリーズは全5回、その最終地点が柳橋です。

柳橋の上からは、隅田川と両国橋の景色がよく見えます。

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江戸城外堀シリーズは、年末などに特集企画として開催しているほか、月に2回くらいずつの割合で開催しています。

古地図を見ながらの江戸城外堀の一周、江戸の町の基本がよくわかる「古地図散歩に行こう!江戸城外堀」シリーズ、今後の開催予定とお申し込みは歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

今回のコース
水道橋駅→上水樋の碑→大砲鋳場跡→御茶ノ水の碑→大久保彦左衛門屋敷跡→小栗上野介屋敷跡 →太田姫稲荷神社→湯島聖堂→神田神社→筋違見附跡→万世橋駅跡→柳森神社→関東郡代屋敷跡→浅草見附跡→柳橋


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。このブログに書いたことよりも、さらにたくさんのお話をしていますので、「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。多くの方たちのご参加をお待ちしております。

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