2015年11月15日

11月15日 古地図散歩に行こう!六本木〜広尾

江戸時代の古地図を見ながら東京の町を歩けば、これまで見えてこなかった面白さが見えてくる歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、10月15日は「六本木〜広尾」コースを歩いて来ました。

港区も六本木・麻布・広尾のエリアは、高層ビルと流行を先取りしたショップを思い出す人も多いでしょう。

IMG_0250.JPG

今回のスタートも高速道路と建ち並ぶ高層ビルの中からとなります。とても昔のものが残っているとは思えないこの場所ですが・・・

しかし!


江戸時代の地図を見ると稲荷神社が描いてあります。

Image5.jpg

そして江戸時代の地図どおりに、ちゃんとその場所に神社があるのです。

IMG_0252.JPG

久国神社です。よい表情の狛犬が出迎えてくれます。

IMG_0253.JPG

このように高層ビルの建ち並ぶその足下に、今も“江戸”が残っている。これが六本木・麻布・広尾エリアのこれまで見えてこなかった面白さなのです。

久国神社の前の道はやがて上り坂となります。

IMG_0254.JPG

ここが「忠臣蔵」で有名な南部坂です。

Image6.jpg

大石内蔵助が浅野内匠頭未亡人の遥泉院に会いに来るという名場面の舞台です。ただし、実際には南部坂沿いには遥泉院の居所はありませんでした。

この南部坂を登り切ってしばらく歩いたところには赤坂の氷川神社があります。

IMG_0258.JPG

江戸時代中期の享保15年(1730)、8代将軍の徳川吉宗が建てた神社です。

Image7.jpg

現在も創立当初の社殿が残っています。約300年前の建物です。

次に向かうのは東京ミッドタウン。この日は雨上がりでミッドタウンにも雲がかかっています。

IMG_0262.JPG

ミッドタウンは長州藩毛利家の中屋敷の跡です。「松平大膳大夫」と描いてあるのがそこです。

有力な外様大名には幕府が松平姓を与えていたので、「松平」と描かれているのです。現在も当時の庭園を引き継いだ日本庭園があります。

次に向かったのは六本木ヒルズ。やはりここも雲をかぶっています。

IMG_0278.JPG

六本木ヒルズは、長州藩の支藩である長府藩毛利家の屋敷の跡です。

Image8.jpg

ここは吉良邸に討ち入った赤穂浪士のうち10人を預かり、後に彼らが切腹した場所でもあります。毛利庭園の一角に、その旨の説明板があります。

この毛利藩邸は「日ヶ窪邸」と呼ばれ、「日ヶ窪」という谷間にかけてありました。その谷間の道を進んでいくと、麻布の十番稲荷神社に出ます。

IMG_0300.JPG

江戸時代の古地図には、十番稲荷神社は載っていません。

Image1.jpg

それというのも、十番稲荷神社は戦争によって焼失した末広稲荷と竹長稲荷が合併して、戦後建てられた神社なのです。

Image9.gif

この十番稲荷神社にはガマガエルの石像があります。

IMG_0301.JPG

これは巨大なガマガエルが口から水を吐いて火事を消したという「ガマ池の伝説」がからきています。そのガマ池は、十番稲荷神社の前から坂道を上ったところにあった、山崎主税助の屋敷内にありました。

Image2.jpg

そのガマ池、現在では周囲をマンションに囲まれてしまい、見ることができません。今回はちょっと事情があり、チラ見をすることができました。

IMG_0312.JPG

笹藪の向こうに見える水面がガマ池です。

雨上がりの空が、晴れてきました。

IMG_0313.JPG

有栖川宮記念公園に向かいます。ここはかつての盛岡藩南部家の屋敷跡です。

Image3.jpg

現在公園内にある池は、南部家の屋敷の庭園の池が現在も残っているものです。

有栖川宮記念公園から広尾駅まで行って、今回の古地図散歩は終了となりました。

高層の複合ビルやマンションが建ち並ぶ港区の六本木・麻布・広尾ですが、そのビルの足下には今も江戸の名残がひっそりと残っているのです。

今回のコース
六本木一丁目駅→久国神社→南部坂→赤坂氷川神社→東京ミッドタウン→国立新美術館→六本木ヒルズ→十番稲荷神社→大黒坂→麻布一本松→麻布氷川神社→ガマ池→有栖川宮記念公園→広尾駅


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。このブログに書いたことよりも、さらにたくさんのお話をしていますので、「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。多くの方たちのご参加をお待ちしております。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ 転載禁止


posted by 歩き旅応援舎 at 12:00| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月31日

10月31日 古地図散歩に行こう!神田稲荷神社めぐり

江戸の古地図を見ながら歩くと東京の町の記憶が見えてくる歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、10月31日は「神田稲荷神社めぐり」コースを歩いてきました。

この日のお客さんの1人が「稲荷神社は町の記憶装置」とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりです。稲荷神社だけを見ているとわかりませんが、江戸時代の地図と比べ合わせてみると稲荷神社にはこの町の歴史が刻みこまれていることがよくわかるのです。

この日回った稲荷神社は全部で18社。とてもこのブログにすべては書ききれませんので、主だったところをご紹介します。

まずは大手町駅集合、ここから北上し鎌倉橋を渡ります。するとそこには御宿稲荷神社が。江戸時代の地図にも載っている神社です。

Image2.jpg


ここは徳川家康が初めて江戸にやってきたとき、家康が宿泊した家の邸内社を、後に幕府が境内地を用意して独立した神社にしたものと伝わっています。

IMG_4993.JPG


古地図をよく見ると、この神社の周囲の町は「三河町」。家康が江戸入りしたとき、家康の出身地三河からついてきた人たちが住んだ場所だといわれています。

神田駅の方へと進みます。すると駅前の繁華街の中に稲荷神社があります。

IMG_4998.JPG


江戸時代の地図を見ると、ここは竪大工町と描いてあります。

Image3.jpg


この地図は幕末ころに造られたものですので、江戸時代前期の地図を見てみますと・・・

寛文地図佐竹屋敷.jpg


「佐竹修理太夫」と描かれています。ここは当初秋田藩佐竹家の屋敷があったのです。それが火事で焼けた後に移転し、町屋となりました。大工が多く住んでいたのが「竪大工町」の由来といわれています。

屋敷は引っ越したものの、邸内社だった稲荷神社はこの地に残りました。そして火除けの神様として町の人たちに信仰されるようになったのです。

稲荷神社は本来は農業と穀物の神様です。稲荷神社は広く信仰されましたから、信仰する人や稲荷神社が置かれた状況で新しい御利益へと変化するのが稲荷神社の特徴とも言えます。

さらに北に歩いて万世橋の近くへと向かいます。途中には「江戸名所図会」を編纂した斎藤月岑の屋敷跡の碑があります。

IMG_5006.JPG


斎藤家は雉子町の名主だったのです。

Image1.jpg


今回のコースは、古くて素敵な建物が途中にたくさんあるのも魅力の一つです。

IMG_5011.JPG


IMG_5020.JPG


IMG_5013.JPG


建物に見とれていると初期の目的を忘れてしまいますので、先に進みます。

思い出しました。今日は稲荷神社めぐりでした。こちらの延寿稲荷は越前大野藩土井家の屋敷内にあった神社です。

Image4.jpg


関東大震災で倒壊したところ、付近で疫病が流行ったために、越前大野にある延寿稲荷神社から勧請を受けて再建した神社です。

IMG_5023.JPG


小さなお稲荷さんです。賽銭箱もこんなに小さいです。

IMG_5024.JPG


稲荷神社をめぐっていると、中には再開発でビルの1階の一部屋に引っ越してしまった神社もあります。

IMG_5030.JPG


靖国通りを西に進むと五十(ごとう)稲荷という変わった名前の神社があります。

IMG_5031.JPG


ここは足利藩主だった戸田家の屋敷内にあった稲荷神社です。本来の名前は「栄寿稲荷神社」ですが、足利では5の日と10の日に織物市が開かれることから、この神社も5と10の日には祭礼を行い庶民に開放され、それがために「五十神社」と呼ばれるようになったのです。

Image5.jpg


神田川を渡って神田明神に来ました。

IMG_5045.JPG


あれ?神田明神の神様って、大黒様と平将門だよね?と思うところですが、実は本殿の裏側に稲荷神社が3社もあるのです。

Image7.jpg


まずは末広稲荷神社。

IMG_5046.JPG


ここには稲荷神のほかに級長津彦命と級長戸辺命という風の神様が祀られています。江戸時代後期にはここにあったことが確認されるのですが、創建を含めて風の神が祀られた経緯も謎の神社です。

次に三宿稲荷神社。

IMG_5049.JPG


今回最初の方によく似た名前の「御宿稲荷」に行きましたが、そことは別の神社です。もともとは御宿稲荷と同じ三河町にありました。しかし、三宿稲荷は家康とは関係ないらしいのです。三河から来た人たちの宿にあった神社などともいわれていますが、明確な由来はわかりません。

最後に浦安稲荷神社。

IMG_5050.JPG


神田明神の中でももっとも奥まったところにある神社です。最初は江戸湾沿いの漁村にあり、豊漁と海の安全の神様として祀られていました(ここでも御利益が変化しています)。つまり「浦、安かれ」ということで「浦安稲荷神社」です。神田明神内には江戸時代後期に移転してきました。

今回のコースはこれで終了です。町中でよく見かける稲荷神社ですが、古地図と照らし合わせてみるとなかなか奥深いことがわかりました。このブログを見て稲荷神社に興味を持たれた方は、次回開催時に是非ご参加ください!

今回のコース
大手町駅→御宿稲荷神社→佐竹稲荷神社→大柳稲荷神社→一八稲荷神社→真徳稲荷神社→和光稲荷神社→松尾神社→豊潤稲荷神社→出世稲荷神社→延寿稲荷神社→幸徳稲荷神社→豊川稲荷神社→五十稲荷神社→太田姫稲荷神社→講武稲荷神社→神田神社→御茶ノ水駅


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。このブログに書いたことよりも、さらにたくさんのお話をしていますので、「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。多くの方たちのご参加をお待ちしております。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ 転載禁止





posted by 歩き旅応援舎 at 16:30| Comment(1) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10月31日 古地図散歩に行こう!江戸城外堀3

江戸時代の古地図を見ながら東京を歩くと今まで気付かなかった江戸の痕跡が見えてくる歩き旅応援舎の「古地図散歩に行こう!」、10月31日は「江戸城外堀3」コースを歩いてきました。

江戸城外堀は寛永13年(1636)に完成し、それによって江戸城の領域が定まったのですが、それと同時に江戸の町づくりの基礎にもなった堀なのです。一例を挙げれば、外堀の内側には武家屋敷を集中させ、お寺などは外堀に外側に移転させて寺町をつくるといったようにです。

ですから江戸城外堀の古地図散歩を歩くと江戸の町の概要がわかる、まさに古地図散歩の基本のようなコースなのです。

今回のコースは溜池山王駅集合で、四ツ谷駅まで歩きます。

地下鉄の溜池山王の駅を地上に出たら、まずは赤坂の町を散策します。

IMG_4932.JPG


目的は赤坂に住んでいた有名人、勝海舟の旧宅跡を探すことです。

赤坂の町は、現在でも江戸時代の道がそのまま使われているところが多いところです。赤い矢印の道を進んでいきます。

Image2.gif


右折左折を繰り返すと、勝海舟邸跡の標柱が見えてきました。

IMG_4934.JPG


勝海舟は3度にわたって赤坂に住んでいます。最初は結婚して独立したとき、次は幕府内で出世して屋敷を与えられた幕末期、そして明治になってからです。

この標柱のある場所は、幕末に勝海舟が住んでいた場所です。

Image3.gif


この地図に「勝麟太郎」と書かれている場所にあたります。有名な西郷隆盛との江戸城無血開城の会見もこの場所に住んでいるときの出来事です。

この屋敷の裏手の崖の上には赤坂氷川神社があります。

IMG_4937.JPG


享保15年(1730)に徳川吉宗が「成敗!」と建立した神社です。関東大震災にも第二次大戦の空襲にも焼けず、建立当初の建物が今も残っています。

次に訪れたのが勝海舟が明治時代に住んでいた家。

IMG_4940.JPG


現在は老人ホームになっており、敷地の片隅に碑があります。江戸時代には柴田松之丞の屋敷でした。

Image4.gif


3番目は勝海舟が結婚して住んでいた家。説明板など全くありません。現在は焼き肉屋さんです。

Image5.gif


IMG_4943.JPG


勝海舟の家をめぐったら、外堀へと戻ります。赤坂見附の交差点から坂道を昇ると、赤坂門の跡があります。江戸時代の石垣が今も残っています。

Image6.gif


IMG_4948.JPG


赤坂門の別名は「赤坂見附」。これが丸ノ内線の駅の名前や交差点名の由来となりました。

赤坂門から四ツ谷門にかけての外堀の内側には、紀伊藩徳川家、尾張藩徳川家、彦根藩井伊家の屋敷がありました。これらの頭文字をとったのが「紀尾井町」そして「紀尾井坂」です。

Image7.gif


現在は、紀伊藩徳川家の屋敷跡が現在工事中の赤坂プリンスホテル跡、彦根藩井伊家の屋敷跡がホテルニューオータニ、尾張藩徳川家の屋敷跡が上智大学となっています。

紀伊藩邸跡の工事現場には碑が立っています。

IMG_4953.JPG


こちらは彦根藩邸跡のニューオータニです。

IMG_4956.JPG


ニューオータニの庭園は、当時の屋敷の庭園を今に引き継いだものです。

IMG_4959.JPG


この場所が彦根藩井伊家の屋敷になる前は、虎退治で有名な加藤清正の屋敷でした。今の庭園にも加藤清正時代の庭石と伝わる石が残っています。

IMG_4961.JPG


そしてこれは加藤清正が可愛がっていた猫です。

IMG_4962.JPG


ホテルニューオータニの庭園を通り抜けると、そこには喰違見附の跡があります。江戸城外堀の門の中でも古い門で、石垣ではなく土塁で築かれた門です。今もその土塁が残っています。

Image8.gif


IMG_4971.JPG


ここからは外堀内側に築かれた土塁の上を歩きます。外堀を掘った土を積み上げて土塁としたもので。

Image9.gif


IMG_4977.JPG


桜の名所でもありますが、桜の木は昭和になってから植えられたものです。

この土塁の上を歩き続けると四ツ谷駅に出ます。四ツ谷駅は江戸時代には外堀の門があった場所です。

IMG_4987.JPG


Image11.gif


その門の痕跡は次回「江戸城外堀4」コースの話といたしまして、今回の古地図散歩は四谷駅前で終了です。

今回のコース
溜池山王駅→勝海舟邸跡→赤坂氷川神社→赤坂門跡→弁慶橋→井伊家屋敷跡日本庭園→喰違見附跡→紀尾井坂→清水谷公園→江戸城の土塁→心法寺→四ツ谷門跡→四ツ谷駅

歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。このブログに書いたことよりも、さらにたくさんのお話をしていますので、「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、ぜひ歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。多くの方たちのご参加をお待ちしております。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ 転載禁止


posted by 歩き旅応援舎 at 12:00| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。