2015年10月18日

10月18日 散歩かふぇちゃらぽこでの江戸城外堀古地図散歩(前半)

10月18日の江戸城外堀の古地図散歩は東高円寺にある散歩かふぇちゃらぽこ主催のものでしたが、そこでガイドをしてきました。

散歩かふぇちゃらぽこは、東高円寺にある町あるきや街道歩きなど「歩く」ことをコンセプトにした喫茶店です。もちろん普通の食事や喫茶もできますが、「歩く」に関する講座やイベントも開催しています。

今回の江戸城外堀コースは、いつも歩き旅応援舎で開催している3時間で約5qを歩くものとはちがい
・一日かけてあるく
・3回にわけてあるく
ということでいつもよりも長め、コースもいつものものとは少し変えてあります。

そういうわけで、今回は長く歩きましたので、ブログも前半と後半の2回にわけて掲載します。

始まりはいつもと同じです。水道橋駅から南に少し歩いた堀留橋からはじまります。

Image1.jpg


堀留橋近くでまずは外堀の説明です。お客さんは広い年代の人たちが集まりました。

IMG_4499.JPG


マスコミなどでは古地図を使ったウォークイベントなどに関して「高齢者に人気」と言われることが多いのですが、実際にイベントの現場で働いてみればわかりますが、決して高齢の方々ばかりに人気があるわけではありません。若い人から年配の方までいろいろな人たちが楽しんでいるのです。

まずは堀留近くの元飯田町へ。ここには中坂という坂道があり、その坂の下に滝沢馬琴が31年にわたって住んでいました。

Image3.jpg


住居の跡などは全く残っていませんが、井戸枠の形をした石と碑が置かれています。

IMG_4502.JPG


ここから外堀最初の門だった雉子橋門の跡に向かいます。

Image7.jpg


現在は日本橋川の一部となっている外堀跡ですが、江戸時代の地図同様に今もゆるく湾曲しています。

IMG_4508.JPG


雉子橋門の跡にはこのようなもっともらしい石垣が。実はこの石垣らしきものには秘密があるというお話をしました。

IMG_4511.JPG


雉子橋から先に進むと、ここでは江戸時代の石垣が今でも護岸として使われています。

IMG_4515.JPG


向こう側には先ほどの雉子橋門跡の石垣のようなものが見えますが、石の積み方の違いがわかりますか?

江戸時代の古地図にも石垣が描かれています。

Image7.jpg


一ツ橋門の跡に着くと、そこには城門の石垣の一部が今も残っています。

IMG_4530.JPG


コンクリートの板で支えてありますが、それも傾いていて今にも崩れそうです。刺激しないように静かに通ります。

神田橋門の跡の近くまで来ました。

Image8.jpg


すると対岸にはこのように石が置かれています。

IMG_4531.JPG


公園内にもたくさんの石が。

IMG_4532.JPG


これらは外堀と重大な関係がある石なのですが、その話はまた後ほど・・・

神田橋門から竜閑橋にかけては、外堀の北側が「鎌倉河岸」と呼ばれる荷揚場となっていました。

Image9.jpg


現在はビルが並んでいますが、最後の荷揚場は昭和になるまで使われていたそうです。説明板と碑が設置されています。

IMG_4534.JPG


この鎌倉河岸のある外堀から、細い運河が流れ出ていました。これが竜閑川です。

竜閑川の入口には、竜閑橋という橋が架けられていました。現在、橋があった場所の近くの緑地には、大正時代に架けられたコンクリート製の竜閑橋が保存されています。

IMG_4535.JPG


竜閑橋を過ぎると、その先には日本銀行があります。この場所には江戸時代には江戸三年寄(江戸の名主をとりまとめる町方の役職)の舘市右衛門の屋敷と金貨の製造所である金座がありました。

Image2.jpg


IMG_4541.JPG


この日本銀行、石造りの立派な建物で国の重要文化財に指定されていますが・・・

実はちがうんです!!


というところで次回へつづく・・・。


散歩かふぇちゃらぽこでの江戸城外堀古地図散歩、次回は11月29日です。参加者募集中。くわしくはこちら
posted by 歩き旅応援舎 at 12:00| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月17日

10月17日 L.L.Beanで古地図散歩 江戸城外堀編1

この10月からアウトドアブランドのL.L.Beanのお客様向けの屋外イベント「アウトドア・ディスカバリー・パートナーズ」で古地図散歩を行うことになりました。

初回となった10月17日は、当舎の人気コースである「江戸城外堀1」を歩いてきました。

Image1.jpg

江戸城の外堀は、渦巻き状にちょうど「の」の字を描いて江戸の町をめぐっていました。

始まりは水道橋駅からすこし南へと行った日本橋川にかかる堀留橋です。

Image1.jpg


現在も堀留橋という橋が近くにありますが、江戸時代の堀留橋はもっと南にありました。この写真に高速道路の橋脚に梁のような横棒があるのが写っていますが、ちょうどその辺りです。

IMG_4445.JPG


この堀留から始まる外堀ですが、現在は一石橋まで日本橋川になっています。この西側にある町屋(町人の住居地)は「元飯田町」といいます。もともと飯田町だったのが、火事で丸焼けになって築地に町ごと移転して再建されたのが飯田町。飯田町が移転した跡地に再びできた町屋が元飯田町です。

この町にはとある有名人が住んでいました。

IMG_4447.JPG


滝沢馬琴です。ここにあった履物屋に婿養子で入った馬琴は、31年この地に住んで小説家として活動しました。

外堀沿いに歩いていくと、最初の城門が見えてきます。それが雉子橋門です。

Image2.jpg


内堀と外堀が近接し、両方の堀を結ぶ堀があった場所に雉子橋門はありました。跡地には立派な「石垣」が残っています。

IMG_4456.JPG


と言いたいところですが、実はこの石垣はニセモノです。江戸時代の本物の石垣の石を使ってあるだけで、本物の石垣ではありません。

本物の石垣はこれです。400年前に造られた石垣が、今も現役の護岸として使われています。

IMG_4457.JPG


外堀にあった一ツ橋門の近くでも、外堀と内堀が接近しています。一ツ橋門は石垣の一部が残っているだけですが、内堀の平川門は橋と門が両方そろっています。

Image3.jpg


IMG_4462.JPG


神田橋を渡ります。ここは江戸時代に神田橋門のあった場所です。

IMG_4474.JPG


Image4.jpg


神田橋門から東側の外堀には荷揚場がありました。荷揚場のことを「河岸」とも呼びます。ここにあった河岸を「鎌倉河岸」といいます。

Image6.jpg


荷揚場自体はなくなってしまいましたが、河岸の名前はビルに残っています。

IMG_4479.JPG


鎌倉河岸の跡をたどっていくと、竜閑橋の交差点に出ます。この近くに外堀から流れ出る竜閑川があり、その入口にかかっていた橋が竜閑橋です。

竜閑川は戦後に埋められてしまい、竜閑橋も廃止となりましたが、跡地ちかくでは大正時代に造られたコンクリート製の竜閑橋が道端の緑地に置かれています。

IMG_4480.JPG


竜閑橋の跡から少し進むと、日本銀行の前に大きな石垣があります。外堀の正門だった常盤橋門の跡です。

IMG_4482.JPG


Image7.jpg


工事をしているのは、東日本大震災で城門跡の石垣と、明治時代に架けられた門の前の石橋が傷んでしまったからです。現在修復作業の真っ最中なのです。

常盤橋を過ぎると一石橋に出ます。かつてはここで堀が十字に交わっていました。現在は西の堀と南の堀は埋め立てられていますが、北の堀と東の堀は残されて日本橋川となっています。

Image8.jpg


十字の東側にかけられていたのが一石橋です。その橋のたもとには、迷子しるべ石があります。

IMG_4491.JPG


近くには日本で一番人出が多かった日本橋があります。迷子もたくさん出たことでしょう。そこで、この迷子しるべ石に、迷子の特徴を書いた紙を貼っておくと、その子を見つけた人が居場所を紙に書いて貼り付けることで迷子を探したのだそうです。

一石橋の南側に呉服橋の交差点があります。ここが呉服橋門の跡です。

Image5.jpg


呉服橋門の内側には、江戸時代の中期以降に北町奉行所がありました。仕事中にすぐに服を脱いじゃうお奉行様のいたところです。

この跡地の説明板が昔から転々と移動を繰り返していまして、つい最近外堀通り沿いに移転して設置されました。

IMG_4495.JPG


ちなみに以前はこんなところにありました。

IMG_3870.JPG


日の目を見るようになった北町奉行所跡の説明板ですが、わかりにくいところにあった方が面白かったという気もします。

今回は東京駅八重洲中央口で終了です。次回はこのつづきを溜池山王まで歩きます。

今回のコース
水道橋→滝沢馬琴旧居跡→俎板橋→雉子橋門跡→一橋門跡→平川門→神田橋跡→竜閑川・竜閑橋跡→金座跡(日本銀行)→常盤橋門跡 →一石橋→呉服橋跡→北町奉行所跡→東京駅八重洲中央口

L.L.Beanのサイトで募集している江戸城外堀の古地図散歩はおかげさまで大人気です。5回に分けて外堀を歩く予定の来年1月開催の4回目まで定員に達してしまいました(平成27年11月2日現在)。しかし、また再開催する予定でいますので、このブログを読んで「参加してみたい!」と思われた方は是非お申し込みください。参加者全員にL.L.Beanのクーポン券とステッカーを差し上げます。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ 転載禁止




posted by 歩き旅応援舎 at 16:30| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

10月12日 古地図散歩に行こう!赤坂見附〜牛込見附

江戸時代の古地図を見ながら東京の町を散策すると、これまでは見えてこなかった町の様子が見えてくる古地図散歩、今回は「赤坂見附〜牛込見附」のコースです。

「見附」とは外堀の城門のこと。城門の上にある櫓から敵を見付けるのが語源だといわれています。

今回のコースでは、外堀の赤坂門跡をスタートし、内堀の清水門を通って再び外堀の牛込門跡まで、幕末に麹町の版元金鱗堂尾張屋が発行した古地図を見ながら歩きます。

赤坂門の別名が「赤坂見附」、丸ノ内線の駅名にもなっています。

Image1.jpg


現在は石垣の一部が残っているだけですが、この石垣から門の柱の位置や当時の地面の高さなど、いろいろなことが読み取れるのです。

IMG_4109.JPG


江戸時代には赤坂門の内側には、紀伊徳川家、尾張徳川家、彦根藩主の井伊家の屋敷がありました。これら屋敷の頭文字をとって名付けられたのが紀尾井坂です。

Image2.jpg


明治11年(1878)、この紀尾井坂で悲劇が起こります。明治政府で日本の近代化を強烈に推し進めていた大久保利通が、これに反対する士族によって暗殺されてしまったのです。

「紀尾井坂の変」と呼ばれる事件ですが、実際には暗殺事件があったのは紀尾井坂の下の谷間の道でした。

事件現場の前にあたる清水谷公園には、大久保利通の碑が立っています。

IMG_4116.JPG


ここから甲州街道に出ます。するとそこにはUFJ銀行が。

IMG_4120.JPG


実はこの場所、ここで使っている古地図を作った金鱗堂尾張屋があった場所なのです。

Image3.jpg


自分で作った地図にも、しっかり名前を載せています。

番町を通り抜け、千鳥ヶ淵に至ります。

IMG_4133.JPG


ここにはかつては橋はありませんでしたが、明治33年(1900)に代官町通りが開通したのに伴って土橋が造られました。

Image4.jpg


ここから内堀内に入ります。

内堀の内側には、今も江戸城の土塁が残っています。この土塁の上を歩いていると、ところどころに円形のベンチが据えられています。

IMG_4137.JPG


実はこれ、ベンチではなく高射機関砲の台座なのです。

第二次大戦の末期、皇居を防衛するために低空で進入してくる米軍機を撃墜するために、この場所に高射機関砲、つまり大型の機銃がいくつも据え付けられました。

円形の台座の上に、360度回転できる機関砲座を取り付けたのです。その威力はすさまじく、外れ弾が築地や芝にまで降り注ぎ死傷者が出たほどだったそうです。

IMG_4140.JPG


土塁の上を歩いていくと、左側に素敵な建物が見えてきます。

IMG_4143.JPG


国立近代美術館工芸館です。昭和20年までは、近衛師団司令部だった建物です。ここ北の丸公園には、明治時代から近衛師団司令部が置かれ、近衛歩兵第1連隊と近衛歩兵第2連隊の兵舎が置かれていたのです。

そして、北の丸公園にはこんな人も。

IMG_4162.JPG


みんな大好き、吉田茂♪


北の丸公園は、その名のとおり江戸時代には北の丸と呼ばれいていた江戸城の一部でした。北の丸には田安門と清水門がありましたが、今回は清水門を通って北の丸公園から出ます。

Image5.jpg


清水門が見えてきました。

IMG_4163.JPG


この清水門の石垣、たくさんの刻印が残されているのです。

IMG_4170.JPG


IMG_4166.JPG


IMG_4173.JPG


石垣の刻印は、本来は石垣造りを担当する大名が、自分たちの石に彫り込んだその家の印です。ところが清水門には様々な大名家の刻印があるのです。

清水門は江戸時代の初めくらいに火事で一度焼けているらしいのです。それにしては、石垣に火事に遭った跡がありません。ということは、火事の跡に再び石垣を積み直したことが考えられます。そのときに、他の場所に使われていた石を集めてきて転用したので、いろいろな大名の刻印が混ざっているという可能性があります。

清水門を出たらお堀端に進み、九段下の交差点をわたって進みます。すると中坂を上ったところに築土神社があります。地図に「田安イナリ」と書いてある場所です。

Image6.jpg


IMG_4182.JPG


平将門を祀った神社といえば神田明神が有名ですが、この築土神社も平将門を祀る神社です。平将門の首桶と伝わるものが御神体でしたが、第二次大戦の空襲で燃えてしまいました。

この首桶は、見れば目が潰れるといわれています。今は便利な時代になりまして、築土神社のホームページにいけばいつでも見ることができます。


閲覧注意!失明の危険あり!!


今回のゴールの牛込門跡はもうすぐです。暁星学園の脇を通って進みます。この煉瓦塀は明治23年(1890)にできたもので、千代田区の景観まちづくり重要物件に指定されています。

IMG_4188.JPG


飯田橋駅前に出ました。大きな石垣があります。

IMG_4192.JPG


これが江戸城外堀の門の1つ、牛込門の跡です。明治のはじめに門は廃止となり、明治35年(1902)には石垣も一部を残して撤去されました。

大きな石垣を見たところで、今回のコースは終了となります。

今回のコース
永田町駅→赤坂門跡→諏訪坂→紀伊徳川家屋敷跡→金鱗堂尾張屋跡→善国寺坂→滝廉太郎住居跡→五味坂→千鳥ヶ淵→北の丸公園→清水門→九段下交差点→筑土神社→二合半坂→東京大神宮→牛込門跡→飯田橋駅


歩き旅応援舎の古地図散歩は、週末を中心に開催しています。「参加してみたい!」とか「もっと詳しく知りたい!」という人は、歩き旅応援舎のホームページをご覧ください。

使用古地図:人文社復刻版江戸切絵図コピーライトマークこちずライブラリ 転載禁止


posted by 歩き旅応援舎 at 16:30| Comment(0) | 古地図散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。